世界中の医療システムが崩壊しつつある。
今年1月、米国では、カリフォルニア州のプロスペクト・メディカル・ホールディングスが米連邦破産法11条(チャプター11)を申請した。同法人が運営していたペンシルベニア州のクロザー・チェスター医療センターなど複数の病院が救急外来の受け入れを停止し、2600人超の医療従事者が解雇され、地域住民は突如医療アクセスを失った。
ミズーリ州やミシシッピ州では採算の合わない産科や小児科の閉鎖が相次ぎ、妊婦が出産のために2〜3時間かけて他州へ移動するケースが多発している。
英国も状況は変わらない。国民保健サービス(NHS)によれば、今年3月末時点で、約742万人が治療待ちで、約7400人が65週間以上の待機を余儀なくされている。救急外来では、75%の患者しか4時間以内に診療を完了できず、救急車の応答時間は平均27分34秒と、目標(18分)を大幅に超過している。
なぜ、こんなことになるのか。それは、高齢化が進む先進国では、従来の医療提供体制が現状とそぐわなくなっているからだろう。英『ランセット』誌は、4月19日に掲載した論考で、患者が高齢化し、疾病は複雑化しているのに、医療提供体制は、相変わらず従来型の急性期医療を重視し、プライマリケア(かかりつけ医療)を後回ししていることが問題と論じている。筆者も同感だ。
高度医療の需要は減少する
日本は「課題先進国」と言われる。世界で最も高齢化が進み、財政難も深刻だ。日本が誇る国民皆保険を守るには、必要性が高い医療に優先的に資源を投下しなければならない。つまり、医療費の適正化が重要だ。そのためには、私は大学病院など基幹病院でのリストラが不可欠と考えている。
外科医や救急医の不足が喧伝される昨今、意外な印象を抱かれる方が多いだろうが、我が国の人口動態を考えれば、リストラは必然だ。それは、現状の大学病院や基幹病院が得意とする高度医療の需要が減少するからだ。
バイオバンク・ジャパンの報告によれば、結腸がん手術を受けた患者の平均年齢は67歳だ。また肺癌登録合同委員会の報告によれば、手術を受ける患者の9割が80歳未満だ。つまり、多くの後期高齢者(75歳以上)は、このような高度医療の代表的手術の適応対象に含まれていない。
さらに、今後の我が国では、高度医療のボリュームゾーンの人口が急減する。2023年の80歳未満人口は1億1092万人だが、2030年には1億99万人まで9.0%減少する。一方、80歳より上の人口は1343万人から、1563万人まで16%増加する。
日本では、急性期医療を大学病院と関連病院、プライマリケアを開業医が担ってきた。これまで、大学病院も開業医も患者数は増加し続け、高額な診療報酬や手厚い補助金に守られてきた。医療機関の経営は盤石だった。だからこそ、経営の経験がない大学教授を病院長に招聘したし、勤務医を辞めて、すぐに開業することが可能だった。今後、このようなやり方は通用しなくなる。需要がなくなる診療領域からは撤退するしかない。
近年、需要減少に、物価高と人件費増が加わり、大学病院の経営状況は急速に悪化している。5月9日に発表された国立大学42病院の2024年度収支決算の速報値によると、42病院の合計で213億円の赤字で、前年度から187億円悪化した。大学病院はリストラしなければ、存続できない。
大学経営を圧迫している「付属病院」
ところが、当事者に問題意識はない。大鳥精司・国立大学病院長会議会長(千葉大学医学部附属病院病院長)は記者会見し、「診療報酬の点数を上げてもらわないと、赤字の構造はなくならない」と、国の庇護を求めた。
そして、「千葉大という一つの法人の中で、病院の位置は全体の収支の6割から6割5分。ここが崩壊すると法人自体が潰れる。20億や30億の赤字が3~4年続くと100億円以上。そうなると打つ手がない」、「医師を都会にも地方にも送り続けている。それが破綻したら当然、医療が崩壊するのは目に見えている」とコメントを付け加えた。
私は、この意見を聞いて呆れ果てた。当事者意識を感じないからだ。
千葉大学の場合、2023年度の経常利益は26億円の赤字だ。これは病院の存在が効いている。病院の経常収益は483億円だ。一方、経常費用は518億円で、病院は35億円の赤字である。理論上は、千葉大学は附属病院を切り離せば黒字となる。
医学教育に大学附属病院は必須ではない。ハーバード大学は附属病院をもたず、マサチューセッツ総合病院などと連携している。千葉大学から附属病院を独立させれば、つまり売却すれば、競争力のない診療科を閉鎖することが可能になる。救急医療など、どうやっても不採算な診療科だけ、国あるいは自治体が補助金を出せばいい。35億円の赤字は大幅に減るはずだ。本気で、千葉大学の存続や地域医療の維持を考えるなら、まずここに手を着けるべきだ。
本稿では、千葉大学を具体例として解説したが、他の大学病院も構造は同じだ。今後、需要が増加する高齢者のプライマリケアには、大学病院のような巨大な「ハコモノ」は必要でない。需要は減るのに、過剰設備と余剰人員を抱えることは経営を悪化させる。構造を変革しなければ、今後の需要減に対応できない。
大学病院のリストラは「医師偏在対策」にもなる
問題は大学だけではない。厚生労働省の対応も迷走している。6月26日、読売新聞朝刊には「地域への医師派遣承認基準に追加 特定機能病院」という記事が掲載された。都市部への医師の偏在を問題視する厚労省は、大学病院など診療報酬で優遇される特定機能病院の認定に、「地域に一定の医師派遣を行っていること」を入れるらしい。だが、本当に地方への医師派遣を進めたいなら、大学病院への補助金を削減すればいい。放っておいても、「リストラ」された医師が、地方でプライマリケアに従事するはずだ。
千葉大学医学部附属病院の場合、1029人の医師・歯科医師が勤めている。千葉県の「医療施設に従事する医師数」は1万3097人だ。千葉大学医学部附属病院の医師の3割が、大学病院から離れるだけで、地域の医師は約2.5%増加する。合理的な医師偏在対策だ。
ところが、このような対策が議論の俎上に載ることはない。冒頭にご紹介したように、米国では医療機関が倒産やリストラを通じて、医療資源の再配分を推し進めているのと対照的だ。
なぜ、こうなるのか。それは、日本の医療が、厚労省の統制下にあるからだろう。余程、厚労大臣が指導力を発揮しない限り、官僚は、与党族議員と業界団体の利害調整に汲々とし、さらに天下りも加わるため、現状維持を選ぶ。マスコミも、このような対応を批判しない。これが、日本で医療崩壊が進む理由だ。
「小児科難民」を出してはならない
参考になるのは、小児科の現状だ。わが国の少子化は深刻だ。子育て環境の整備、特に小児科医療の体制整備は国家にとって最優先課題といっていい。ところが、この問題について、厚労省は無策を貫いてきた。
注目すべきは、医師数が増えているにもかかわらず、小児科クリニックが閉院を続けていることだ。厚労省の調査によれば、1984年に約2万9000あった小児科診療所は、2023年時点で約1万7800へと4割近く減少した。東京に限っても、1984年の4001施設から2020年には2496施設へと約4割減少している。
患者数が減るなら、単価を上げねば、経営は維持できない。ところが、小児科の診療報酬は安く据え置かれている。たとえば6歳未満児の初診で処方箋を出した場合、クリニックに支払われる報酬は604点(6040円)に過ぎない。内科患者1人あたりの報酬が約1万5900円であるのと比較すれば、小児科の報酬は3分の1以下だ(2020年度・CLIUS社分析)。
小児科と内科の価格差は、医療行為の付加価値の差を反映している訳ではない。わが国の医療費は、中央社会保険医療協議会(中医協)を通じて、厚労省が統制しており、彼らが低く設定してきただけだ。知人の元国会議員は、「小児科や産科など診療が忙しい方が陳情にくることは少なく、彼らへの対応は後回しにされる」という。これが医療政策の現状だ。
小児科の経営環境は、益々悪化する。それは子どもが減るからだ。2024年の出生数は68万6000人で、前年から5.7%減った。出生数は9年連続の減少で、当初2039年と予測していた出生数のレベルを、予想より15年も早く上回った。今後、小児科の撤退は加速するだろう。すでにネットには「小児科難民」の記事が溢れている。いつ小児科医療が崩壊してもおかしくない。
ところが、関係者に危機感はない。財政力がある東京都は、独自に小児科を支援することが可能だ。ところが、6月の東京都議会議員選挙では、小児科クリニックの経営問題は論点とはならなかった。小児科団体や東京都医師会から、このような要望がでることもなかった。集団思考停止といっていい。
これが、わが国の医療現場の現状だ。高齢者の最大の関心は医療だ。世界で最も高齢化が進み、その高齢者が多くの資産を保有する我が国で、医療が崩壊するのは皮肉なことだ。これは現場での自己調整機能が働かないからだ。厚労省の統制のなれの果てだ。日本の医療を守るためには規制緩和と現場での試行錯誤が必要だ。当面の混乱を我慢しながら、新たなシステム構築のための試練に耐えるしかない。
