「歩兵操典」に記載された対戦車肉薄攻撃とは
1945年10月、ベトミン(ベトナム独立同盟会)軍のベトナム南部ニャチャン・カインホア戦線司令部では、ニャチャン西方約10キロにあるディエンカンの町の小学校に「特攻教室」を特設した。そこでは祖国日本への復員を待つ隊から離れ「新ベトナム人」として生きることを選んだ元日本軍将校、下士官らが、小型の武器を用いて敵戦車に肉薄する日本軍特有のカミカゼ戦術を伝授した。
対戦車肉薄攻撃はノモンハン事件(1939年)以来の伝統的な日本陸軍特有の攻撃方法で、当時の「歩兵操典」などには末尾に「附録」としてその項目が掲載されている。
その第一項には「対戦車肉薄攻撃は自衛の為行ふ。之(これ)が為(ため)敵戦車の近迫するを待ちて攻撃するを通常とす。状況に依り自ら進んで攻撃することあり」(ひらがな部分は原文ではカタカナ表記)と同攻撃が基本的には防衛戦術でありながら、状況に応じては攻撃戦術としても採用するという原則を記載。
第二項には「肉薄攻撃の要は好機に乗じて突如肉薄し決死の攻撃を行ふに在り。戦車の障碍(しょうがい)の通過、斜面の攀登(はんとう)等行動遅緩(ちかん)するとき、戦車相互及(および)歩兵と分離せるとき、隠蔽(いんぺい)地を通過するとき並(ならび)に夜間、黎明、薄暮等は通常攻撃の好機なり。状況之を許せば煙を使用し或(あるい)は戦車地雷を布置する等の手段を講じ積極的に好機を作為す」などとある。
事実上の自爆攻撃であり、新ベトナム人ファン・ライと名乗った猪狩和正元歩兵中尉らは、「特攻教室」でこうしたテキストに忠実に指導したと推察される。
元ベトナム人民軍砲兵少佐、フィン・チュン・フォン氏(96)は「特攻教室の存在は軍極秘で、関係者には箝口令が敷かれていた。通訳に選ばれた私も相当な重圧を感じたものだ。ただ、それだけに教官と生徒には肉や魚、野菜など、猛訓練に耐えるに十分な糧食が用意されていたし、軍上層部の視察も連日のように相次いだ」と、ベトミンが大きな期待を寄せていたことも証言した。
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