
アメリカとウクライナの首脳会談で、ウクライナのゼレンスキー大統領はスーツを着用せず、トランプ政権はこれに苛立ったとされる。歴史をひもとくと、幕末の日本も外交の場で和装からスーツに服装を変えるか選択に悩んだ。
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2025年2月28日、アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプとウクライナ大統領ウォロディミル・ゼレンスキーがホワイトハウスの会談で激しく言い争う姿が各国メディアで報道され、人々を驚愕させた。当日はロシアの侵攻に抗するウクライナの鉱物資源をめぐる協定への署名が想定されていたが、まさかの事態となった。ロシアへの譲歩を求めるアメリカ側と安全保障を求めるウクライナ側との思惑が表面化した形であるが、ここで問題にしたいのは交渉決裂の背景ではなく、会談途中で揶揄されたゼレンスキー大統領の「服装」である。
アメリカ側は会談前にウクライナ側に「スーツ」の着用を再三要請したというが、にもかかわらずスーツを着てこなかったゼレンスキー大統領に対して、アメリカの保守系メディアの記者が批判と受け取れる質問を投げかけた。いわく、この国の最高レベルのオフィスにいるのになぜあなたはスーツを着ないのか、と。なぜ、アメリカ側はスーツにこだわったのだろうか?
「岩倉使節団」は交渉でスーツを着用
アメリカはホワイトハウスでスーツを着ないゼレンスキー大統領を無礼だと非難したが、日本の国会議事堂における議員の服装規定では、本会議場において必ず上着を着用することが定められている。服装を通して神聖な場を尊重することが求められているようだ。ならば、ビジネスマンも会社ではスーツを着る方がかしこまって見えるだろう。
とはいうものの、現実には日本の夏は暑い。近年は温暖化の影響で夏場のスーツにネクタイは地獄である。そのため夏季には「クールビズ」と称して上着やネクタイの着用が免除されるようになった。筆者の勤めている国立大学でも、夏場が近づくと職員の軽装が一斉に周知される。けれども暑さ寒さの感じ方には個人差があるし、上着を着ようが脱ごうが個人の裁量にまかせてもよいのではないか。令和の時代にもスーツが君臨するのは、もとを正せば明治時代の服制(服装に関する制度)で公的な衣服が「洋服」と定められたことに由来する。
日本の伝統的な衣服が着物であったことは誰もが知っている。だが、なぜ日本人が洋服に着替えたのか、この点についてはそれほど意識されていない。日本はいわゆる鎖国によって江戸時代まで外国との交流を制限していた。そのため伝統文化は保存されたが、政治経済・産業技術的には世界から大きく遅れをとった。その日本に開国を迫ったのが、アメリカである。東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーがアメリカ大統領の親書を携え、軍艦を4隻も引き連れやってきた。ペリーの威厳ある服装は、アメリカの圧倒的な軍事力と政治力と経済力を見せつけるに十分であっただろう。当時の日本人の服装は、機能的かつ合理的な軍服を身につけた西洋人と戦闘するにはあまりにも不利であった。そこで海防を担う各藩では、西洋式衣服の要素を藩士の軍服に採用することが急務となった。
また、日本は幕末に不平等条約を結んでしまい、その改正に向けて岩倉使節団を欧米に派遣したことはよく知られている。実は、使節団のメンバーの間では、アメリカに向かう船中で、諸外国の要人との謁見の際に和服と洋服のどちらを着るべきかが議論となった。現地では物珍しい和装に人だかりができたというが、最終的には最上位の洋式礼服を急ぎ入手して謁見に臨むことになった。相手国の慣習に倣い敬意を表するという目的に加えて、日本の伝統衣装を着ることで極東の後進国として軽視されることを避ける意図もあっただろう。たかが外見ではあるが、服装は外交の場面において重要な役割を果たす。岩倉使節団のメンバーが、交渉に向けてスーツの着用を決断したのは、実際に外国の地に足を踏み入れてみて、この衣服の重要性を察知したからであろう。
西洋では近代市民社会の「象徴」
スーツは、西洋近代の力を象徴する衣服である。近代以前の貴族社会においては、身分は生得的なものであり、豪華な服飾品を身につけることは上流階級の特権であった。しかしフランス革命などの社会変革により王政や封建制が崩壊し、大衆が政治的勢力となる時代がやってきた。このとき新興階級が採用した新たな衣服が、貴族的な装飾や派手な色彩を廃し、上着、ヴェスト、長ズボンを組み合わせたスーツであった。市民社会の自由と平等という理念を象徴するこの衣服を、旧貴族も下層階級もこぞって求めた。スーツこそが、個人のアイデンティティと力を表現する衣服となったのだ。逆にスーツを着ない人間は、近代化を達成できない遅れた国の者と判断されかねない。だからこそ、日本の人々は、自らの見た目を変えることから、近代国家の仲間入りを目指したと言える。日本におけるスーツの着用は、国家的なプロジェクトとして始まったのだ。
ここで注目したいのは、スーツの普及が西洋と日本で全く異なる展開を辿ったことである。西洋では市民たちがスーツを獲得したのに対し、日本ではお上の号令としてスーツ着用が推進されたわけだ。規則と言われれば下々の者は従わざるをえない。庶民は「なぜスーツを着るのか?」という疑問を挟む余地もない。みんなが着ているから自分も着る。まるで制服のように。
スーツを着ないゼレンスキーへの苛立ちの正体
話を最初の疑問に戻そう。ゼレンスキー大統領は、2022年のロシアの侵攻開始以来、公の場ではスーツを着ていない。日本のメディアはゼレンスキー大統領の服装を「軍服」や「略式軍服」として紹介してきたが、それは事実と異なる。ゼレンスキー大統領は、この日はポロシャツを着ていたが、あれはただのカジュアルな服ではない。長袖のスタンドカラーのポロシャツで、左胸にはウクライナの国章である三叉槍がグレーの糸で刺繍されていた。ウクライナの民族衣装は刺繍を特徴とするため、プリントではなく刺繍の技術が用いられていることも重要である。
さらにこのポロシャツは、ウクライナの紳士服ブランド「Damirli(ダミルリ)」のもので、ウクライナの職人によって国内で生産されたウクライナの製品である。いつものカーキではなく黒というフォーマルな色が採用されているのも、会談を意識しての装いだと考えられる。会談前に、トランプ大統領はゼレンスキー大統領の服装を見て「今日はめかし込んでいるな」と皮肉ったという。ウクライナへの軍事支出に懸念をもつアメリカにとって、ゼレンスキー大統領が平時の装いであるスーツへ着替えれば、アメリカの意を汲むことになり、ひいてはそれがアメリカに対する「譲歩」や「敬意」を表すと捉えられるだろう。ところが、ゼレンスキー大統領はスーツではなく、ウクライナのアイデンティティを象徴するポロシャツを選択し、ウクライナの不屈の精神を世界に向けて発信した。その一貫した態度に、ある種の苛立ちを覚えた人もいたのかもしれない。
スーツを着るか着ないか。それが国の命運を左右するとは驚きである。スーツは西洋近代の市民社会の価値観を体現する衣服である。そしていまやスーツは権威の象徴ともなった。だからこそ、スーツを着ないことは、時に抵抗や革新の態度を示すことになる。アメリカ側がゼレンスキー大統領にスーツの着用を求めたのも、ゼレンスキー大統領がスーツの着用を固辞するのも、そこには外交上の巧妙な駆け引きがあるのだ。
- ◎平芳裕子(ひらよし・ひろこ)
神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授。1972年、東京都生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。専門は表象文化論、ファッション文化論。著書に『まなざしの装置―ファッションと近代アメリカ―』(青土社)、『日本ファッションの一五〇年』(吉川弘文館)、『東大ファッション論集中講義』(ちくまプリマー新書)などがある。