
中国政府が今年4月、トランプ関税に対する事実上の報復措置としてレアアースの輸出管理を強化したことがドイツ企業に動揺を広げている。背景にはショルツ前政権時の具体性を欠く「中国戦略文書」が影響した対中国デリスキングの遅れがある。
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一昔前には「半導体は産業のコメ」と言われたが、今日の産業のコメはレアアース(希土類)である。
中国政府は4月4日にテルビウム、スカンジウム、ジスプロシウム、サマリウム、ガドリニウム、ルテチウム、イットリウムの7種類のレアアースについて、輸出管理を強化した。これらのレアアースまたは関連製品、化合物などを外国に輸出する企業に対して、中国商務部の許可を取得することを義務付けた。商務部には多数の許可申請が殺到しているため認可作業が滞り、輸出許可の交付が大幅に遅れている。欧州の製造業界では、「今年6月上旬の時点で中国商務部が認可した許可申請の比率は、全体の10%に満たない」という見方が出ている。
2022年のロシア産天然ガス停止に匹敵?
これらのレアアースは、電気自動車(EV)、産業用ロボット、ドローン、風力発電設備、兵器、AI(人工知能)関連機器などの製造に不可欠だ。このためドイツの経済界では、「中国によるレアアースの輸出がさらに遅れた場合、ドイツの製造業界は深刻な危機に陥る」という声が出始めている。
ドイツ産業連盟(BDI)のヴォルフガング・ニーダーマルク専務理事は、ドイツのニュース雑誌シュピーゲル(2025年6月7日付電子版)に対するコメントの中で、「中国政府が輸出規制を続けた場合、製造業界のあらゆる部門で生産停止などの事態が起きる可能性がある。これは『金属危機』と呼ぶべき事態であり、2022年にロシアがパイプラインを通じた天然ガス供給を止めたために発生したエネルギー危機に匹敵するだろう」と警告した。
BDIは特にレアアースの供給遅延による影響が大きな業種として、自動車、機械製造、プラント製造、エネルギー、兵器産業を挙げた。ドイツ連邦統計局によると、自動車と機械製造は、2023年の同国の製造業の粗付加価値(Gross Value Added)の36.4%を生み出した、最も重要な業種である。
ドイツ電気・電子工業連盟(ZVEI)のヴォルフガング・ヴェーバー会長も、ドイツの日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)の6月5日付紙面で「半導体やスマートフォン、コンピューター部品などの製造は、レアアースの供給なしには難しい。企業経営者の間では懸念が募っている。レアアースの在庫が数週間もしくは数カ月分しかない企業もある」と窮状を訴えた。ドイツ自動車工業会(VDA)のヒルデガルド・ミュラー会長も同紙に対して、「状況が直ちに改善されない場合、自動車生産の遅れや停止が起きかねない」と語った。
米国政府と中国政府は6月9日から2日間にわたりロンドンで関税など貿易問題について協議した。その中で最も重要な議題の一つはレアアースの輸出規制だった。米中政府の代表団はそれぞれ「状況を改善するための、大枠について合意した」と発表。ドナルド・トランプ米大統領は6月11日ソーシャルメディアに「米国は中国からの学生の留学を認め、中国は、米国にレアアースを供給するという条件で合意した」と書き込んだものの、米中両政府からの正式な発表は行われていない。特に欧州へのレアアースの供給がどうなるのかについては、全く発表されていない。
一方6月7日に欧州委員会で貿易問題を担当するマロス・セフコビッチ委員は、パリで中国商務部の王文濤商務部長と協議した後、「王部長は、『欧州経済界の懸念に配慮して、欧州企業からの許可申請を優先的に処理するファストトラックを作っても良い』と語った」と明らかにした。ただし中国側はそのための条件として、EU(欧州連合)が中国へのハイテク部品の輸出規制を緩和することを挙げている。中国がEUに対して米国よりも有利な条件を与えることを示唆した背景には、レアアースをめぐってEUと米国の間の反目を引き起こす狙いがあるのかもしれない。
ZVEIは、「ドイツの産業界は、レアアース危機をめぐっては政府に見放されていると感じており、独自に中国政府と協議しようという企業すらある」と指摘し、欧州委員会とドイツ政府に対して、レアアースの供給をめぐっては対症療法ではなく、長期的な解決策を打ち出してほしいと要望している。
「デリスキングの呼びかけ」に終わった対中戦略
ドイツとEUの反応を見ていると、中国への依存度を減らすデリスキングが遅れ、後手に回っている印象を受ける。
ドイツのオラフ・ショルツ政権(前政権)は、2023年7月13日に、中国戦略文書を公表した。ドイツ政府はその中で「中国はパートナー、競争相手、そしてシステムをめぐる競争でのライバルだ。しかしここ数年間には、競争相手・ライバルとしての性格を強めている」と指摘した。ショルツ政権は文書の中で、「中国政府は、ルールに基づく世界の秩序の変更を目指している。攻撃的な形で、アジアでの地域的な優位性を確保しようとしている他、我々欧州人の利益や価値と矛盾する行動を取っている。そのために、地域的な安定と国際的な安全保障が脅かされている。中国は人権を尊重していない。中国は、政治的目標を達成するために、経済力を利用している」として同国の政策を批判した。
その上でショルツ政権は、「再生可能エネルギーの拡大やEV普及に不可欠なレアアースなどの重要原材料や半製品、部品について、中国への依存度が危険な高さになっている」と指摘。同政権は中国戦略文書の中に、「我々は中国との経済関係を維持するものの、リスクを避けるために、戦略的に重要な分野での依存度を減らす」という方針を明記した。中国戦略文書は、「我々はこれらの分野での対中依存リスクの引き下げを、優先的に行なう。レアメタル、レアアース、重要な医薬品などの対中依存度を継続的に監視し、調達先の多角化や、EU域内調達量の引き上げによって、対中依存度を減らす」と述べている。
ロシア産エネルギーへの依存を反省
ドイツ政府が対中依存度引き下げを打ち出した背景には、2022年のエネルギー危機がある。ドイツは1970年代以来ロシアからの天然ガス、石炭、原油に大きく依存し、21世紀にはドイツが輸入する天然ガスの約60%がロシア産だった。歴代のドイツ政府はロシアがエネルギーを政治的な武器として使うことはないという誤った安心感を抱いていた。
だが2022年8月にロシアが海底パイプライン・ノルドストリーム1による天然ガスの供給を停止したために、欧州では天然ガスの卸売価格が一時高騰した。エネルギー消費量が多いドイツの金属加工業、製紙業界では、生産を縮小したり倒産したりする企業が現れた。輸入する天然ガスの約半分をロシアに頼っていたドイツのある大手電力会社は破綻寸前の状態に追い込まれ、政府が国営化して救済した。
ショルツ政府が中国に対するデリスキングの必要性を打ち出した背景には、ロシアからのエネルギーへの高い依存度を長年放置したことへの反省がある。
デリスキングを“企業任せ”にした政府
ただしショルツ政権の中国戦略文書は、具体性を欠いている。ドイツ政府はこの文書の中で、対中依存度をいつまでにどの程度下げるのか、あるいはどのようにして依存度を下げるのかについては、詳細を記さなかった。
ショルツ政権は、「現在多くのドイツの企業が中国に直接投資を行い、現地で製造活動を行っている。しかし企業は(投資などに関する)決定を行う際には、地政学的リスクに十分配慮しなくてはならない」と述べるに留めた。
つまり、政府は企業に対し「これ以上中国への直接投資や中国からの輸入を増やしてはならない」とは言っていない。このことは、政府が民間企業の中国事業のやり方について大幅な介入を避け、企業の判断に任せる代わりに、企業経営者の責任がより重くなったことを示している。つまり企業経営者は、中国で事業を行うことや、中国企業との製品の売買について地政学的リスクを詳しく分析し、経営戦略の中に反映させなくてはならない。中国戦略文書がデリスキングの実際を企業に任せた背景には、「マイクロマネジメントは避けてほしい」というドイツ経済界の強い要請があった。
今年クローズアップされたレアアース不足の危険性は、ショルツ政権の中国戦略文書が企業に呼びかけた、戦略的資源に関するデリスキングがほとんど進んでいないことを示している。
EUは「重希土元素」「軽希土元素」の大半を中国依存
EUの、中国への依存度引き下げへ向けた努力も始まったばかりだ。現在EUは、戦略的に重要な原材料のEU域内でのリサイクル比率を引き上げるための法的な枠組みを整えつつある。
その一例が、EUが2024年5月23日に施行した「重要原材料法(CRMA)」だ。欧州委員会は、EU経済のレジリエンス(耐久性)を高め、サプライチェーンを守るために、脱炭素化に貢献する産業、デジタル産業、航空産業、防衛産業に不可欠な戦略的鉱産資源の自給率を高める。
CRMAは、正式には「重要原材料の安定的かつ持続可能な供給の確保に向けた規制枠組みを設置する規則」と呼ばれる。
この法律は、2030年までに、戦略的に重要な鉱産資源(SRM)についてEU域内の年間消費量の少なくとも25%をリサイクルし、10%を域内で採取することを目指す。さらに欧州委員会は、SRMの年間消費量の内、EU域外の一つの国に依存する比率が65%を超えることを禁止する。EUは法案の中で名指ししていないが、「一つの国」が中国であることは明白だ。
EUはSRMを、「経済の脱炭素化、デジタル化、航空・防衛産業にとって重要な原材料。戦略的重要性が高く、供給不足の恐れがあり、生産の拡大が比較的難しい原材料」と定義している。SRMには、テルビウムなどのレアアースやコバルト、電池用リチウム、ゲルマニウム、ガリウム、タングステンなど17種類の原材料が含まれている。
欧州委員会が2023年に公表した「EUのための重要原材料に関する報告書」によると、EUはテルビウム、イットリウム、ジスプロシウムなどの重希土元素(HREE)の供給については中国に100%依存している他、サマリウム、プラセオジムなどの軽希土元素(LREE)の供給についても、85%を中国に依存している。この他EUはマグネシウムの97%、ガリウムの71%を中国に依存している。ちなみにEUでリサイクルされている重希土元素と軽希土元素の比率は、わずか1%にすぎない。
重希土元素と軽希土元素については、中国への依存度が100%、85%と高いことから、「2030年までに依存度を65%未満に減らす」というCRMAの目標の達成は困難と思われる。
EVの普及や風力発電設備の増加に伴い、今後レアアースへの世界的な需要は急激に増加する。国際エネルギー機関(IEA)が2024年5月に公表した予測によると、2023年に世界で消費されたネオジム、プラセオジム、ジスプロシウム、テルビウムの消費量は9万3000トンだったが、2040年の需要量は16万9000トンと約82%増える。
EUは2027年2月18日以降、EV用電池などについて、バッテリー・パスポートの表示を義務付ける。電池の製造者、販売者は、バッテリー・パスポートに、容量、材質、成分、生産工程などから排出されるCO2排出量(カーボン・フットプリント)、リサイクル可能な材料に関する情報、エネルギー効率などの情報を蓄積し、QRコードで表示できるようにしなくてはならない。これはCRMのリサイクルのための第一歩である。EUはレアアースを含む永久磁石が使われた製品についても、似たようなパスポート制度を導入することを計画している模様だ。
このように、EUが中国からのレアアースへの依存度を下げるための努力は、まだ緒についたばかりだ。
万一将来中国が台湾に軍事攻撃を行った場合、EUはロシアに対して行ったような経済制裁措置を、中国に対しても発動せざるを得ない。その場合、中国は報復措置としてEUに対して様々な物資の輸出を禁止または規制し、レアアースのEUへの供給も停止する可能性が強い。つまりレアアースは、中国がEUにプレッシャーをかけるための道具になりかねない。トランプ関税をめぐる対立によりクローズアップされたレアアース問題は、ドイツなどEU加盟国に対し、中国への高い依存度を下げる努力を加速させることになるだろう。