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『昭和史』に嚙みついた亀井勝一郎
マルクス主義にとって歴史は大事である。正しい歴史把握が、同時に、今なにをなすべきかについての政治的指針となるからである。したがって、マルクス主義的な歴史、あるいはその方法論に対する批判は常に政治的意味合いを同時に帯びてしまう。他方、マルクス主義の思想的プレゼンスの動揺もまた、即座に歴史叙述の方法論争と結びつくことになる。今回は、歴史叙述をめぐる二つの論争を扱う。昭和史論争と近代化論争である。
まず、昭和史論争である。それは、ある本がつまらないかどうかをめぐって大真面目な議論が交わされたという点で、特異な論争であった。だが、つまらないかどうかをめぐる論争の背景にはマルクス主義ないし共産党に対する距離感の問題が潜んでいた。
論争の口火は亀井勝一郎が『文藝春秋』1956年3月号に掲載した「現代歴史家への疑問」によって切られた。曰く、「(書き手の)精神状態が、どうしてこうも生硬なのかとふしぎに堪えなかった」「その悪文に閉口した」「権威への追従をそそのかすのに格好の文章」等々。
そこまで言われてしまったのは、岩波書店から1955年に刊行された遠山茂樹、今井清一、藤原彰という三人の歴史家の手による共著『昭和史』(1955年)である。タイトルの通り、1926年の大正天皇の死から筆を起こし、55年当時に至る30年―――わずか30年である。とはいえその間には無論15年間の戦争があった――を描く現代史の「通史」であった。しかし、なぜこうまで悪しざまに言われてしまうのか、もう少しだけ亀井の言うところに付き合おう。

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