実は有名古典に書いてある「自国ファースト」「トランプ関税」の生々しい源流
滝田洋一『古典に学ぶ現代世界』(日経プレミアムシリーズ)
「断言は、証拠や論証を伴わない。簡単なものであればあるほど、ますます威力を保つ」。これは先の参院選についての分析ではなく、大衆が万能の力をふるう20世紀を見据えたル・ボン『群衆心理』からの一節だ。『古典に学ぶ現代世界』(日経プレミアシリーズ)の著者・滝田洋一氏(日本経済新聞社客員編集委員)が、ポピュリズムや反グローバリズムが力を増す現代世界をニュース以上にクリアに理解できる古典を挙げる。
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今年7月の参院選で大敗した自民、公明の与党は、衆参両院ともに過半数を失った。日本にも本格的な多党化の時代が到来した。選挙イヤーの2024年には世界中の国々で15億人とも、あるいは20億人超とも見積もられる人々が投票し、ほとんどすべての国で与党が敗北した。日本にもその波が押し寄せている。
多数派の喪失は政治、経済、外交のかじ取りを難しくする。ポピュリズム(大衆迎合)の弊害は何とかならないか。日本でも識者の間でそんな声が木霊する。
民主主義の機能不全は明らかだが、問題は今に始まったことだろうか。どうもそうではない。何も紀元前のアテネのプラトンまで遡らなくとも、いま世界中で起きている政治と社会のうねりを把握するうえで、またとない本がある。
フランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボン(1841~1931年)が1895年に著した『群衆心理』(櫻井成夫訳、講談社学術文庫)である。ときあたかも19世紀の市民社会から20世紀の大衆社会への転換点。ル・ボンは、一見まとまりのない「群衆」という存在を発見し、その群衆が万能の力を振るう時代の到来を描いて見せた。
群衆心理の特徴をつかんでしまえば、扇動家たちは催眠術師のように人々を操れる。その手段は「断言」、「反覆」、「感染」である。「断言は、証拠や論証を伴わない。簡単なものであればあるほど、ますます威力を保つ」、「候補者は……このうえもなく架空的な約束をもすることに躊躇してはならない」。
識者たちはそんなポピュリズムに顔をしかめるが、医師や弁護士、学者といったエリートはどれだけ当てになるか。彼らも集団となると「精神的に低下する」ことにかけては引けを取らない、とル・ボン。「例えば、帝政の復活(ナポレオン3世の支配)に投票した普通選挙があれほど非難されたが、……もっぱら学者や文人のうちから選出されたにせよ、その結果は異ならなかったであろう」。Woke(意識高い系)の欺瞞にも容赦はない。
まるで日本を含む民主主義国の政治を描いているような分析が次々と出てくる。実はこの7月に刊行した拙著『古典に学ぶ現代世界』では、ル・ボンに代表される碩学たちの著作を俎上にのせ、それら古典の洞察を現代の政治、経済、社会に照射してみた。
半世紀から2世紀を経たそれらの古典はいっこうに古びていない。それどころか、なまじ足元の問題と利害関係を持たないことから、古典はポジショントークとは無縁。かえって曇りのない見取り図を与えてくれさえする。
アレクシ・ド・トクヴィル(1805~59年)の『アメリカのデモクラシー』(松本礼二訳、岩波文庫)もそんな一冊だ。「境遇の平等ほど私の目を驚かせたものはなかった」。そんな周知の書き出しは、2024年の米大統領選を経て読み進むと、ひときわ胸に響くものがある。いわゆる分断社会を診断する際の基準点を提供してくれているからだ。
19世紀前半の段階でトクヴィルは、米国社会が抱えることになる爆弾を見逃さなかった。人種問題である。「合衆国の将来を脅かすあらゆる害悪の中でももっとも恐るべきものは、その地の黒人の存在から生じる」。人種問題は当時、残されていた奴隷制の問題だった。
ここまでなら、ひとかどの観察者というところだが、トクヴィルの洞察力が凄いのはその先である。「二つの人種を隔てる法的障壁は確かに低くなる傾向にあるが、習俗の障害はそうではない。奴隷制は後退しつつあると認められるが、それが生んだ偏見は不動である」。それどころか、「黒人を遠ざける偏見は黒人が奴隷でなくなるにつれて増大する」。
トクヴィルの観察から2世紀近くを経た今日、米国社会は経済がグローバル化の成功を謳歌する傍らで、新たな矛盾を生み出してしまっている。トランプ第2次政権の副大統領になったJ・D・ヴァンス氏の著書、『ヒルビリー・エレジー』(関根光宏、山田文訳、光文社未来ライブラリー)の日本版副題が謳う「アメリカの繁栄から取り残された白人たち」である。
改めて『アメリカのデモクラシー』を読み返すと、印象に残るのはオハイオ州の記述である。トクヴィルが奴隷解放州として希望に満ちた筆致で描いたオハイオは、ヴァンス副大統領の出身地であり、今やラストベルト(錆びた工業地帯)の典型になっている。トクヴィルの矛盾に折り重なる新たな矛盾。米経済の進展が招いた逆転劇が、トランプ再選の原動力だったのはいうまでもない。
その第2次トランプ政権の切り札はトランプ関税である。関税を懲罰ないし駆け引きの材料として濫用し、日本を含む世界中が振り回されている。第2次世界大戦後の自由貿易体制の破壊だと、識者たちからはトランプ批判の大合唱である。だが関税という武器は米国の経済史と無縁なのだろうか。
とんでもない。というと、1930年代の世界不況を深刻化させた、米国の高関税立法であるスムート・ホーリー法を、想起されるかもしれない。だが問題の根はもっと深い。誰もが知る米国の鉄鋼王、アンドリュー・カーネギー(1835~1919年)の『カーネギー自伝』(坂西志保訳、中公文庫)をみるがよい。
第10章「製鉄所」。南北戦争(1861~65年)を経て、カーネギーが鉄道王から鉄鋼王に雄飛する、躍動感あふれるこの章のおしまいに、こんな記述がでてくる。「将来の発展に関するすべての危惧が一掃されたのは、アメリカの政府が外国からの輸入に関税をかける決議を採択したからである」。
関税は米国の産業革命を後押しし、今日の米国経済の礎を築いた。ドナルド・トランプ大統領の心づもりは、米製造業を勃興させた関税を再び導入することで、製造業を甦らせようというあたりだろう。その際に、高関税の導入を正当化する理屈として、大統領はしきりに「国防」を強調している。
屁理屈とも感じられる。が、トランプ氏の勘は決して悪くない。というのも自由貿易の旗手であるアダム・スミス(1723~90年)も『国富論』(山岡洋一訳、日経ビジネス人文庫)のなかで、輸入規制に対する反対の例外として、「国防」を認めているからだ。
「国防は豊かさよりもはるかに重要であり、航海法はおそらくイングランドの商業法のなかでもっとも賢明なもの」という。歴史の教科書にも出てくる航海法とは、英国に商品を運ぶ船舶は英国船か産出国の船に制限するという法律。ライバルだったオランダ船の追い落としを狙った、絵に描いた保護主義の立法である。
トランプ氏が『国富論』を精読しているとは思えない。が、いかにもビジネスマンらしく、問題の勘所をつかんでいるようにもみえる。もちろん21世紀の今になってしゃにむに製造業の復権を目指すのは、年齢を重ねたマッチョが往年の元気を取り戻そうと、副作用にお構いなくバイアグラを服用するようなもの。
おっと品のない話になってしまった。それはともあれ、古典をひもとくことによって、現在を見る思わぬヒントが得られることだけは確かだろう。先行き不透明感が増す今だからこそ、名著を読み返す意味があるように思われる。
◎滝田洋一(たきた・よういち)
名古屋外国語大学特任教授、日本経済新聞社客員編集委員 1957年千葉県生れ。慶應義塾大学大学院法学研究科修士課程修了後、1981年日本経済新聞社入社。金融部、チューリヒ支局、経済部編集委員、米州総局編集委員、特任編集員などを歴任後、2024年4月より現職。リーマン・ショックに伴う世界金融危機の報道で2008年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」解説キャスターも務めた。複雑な世界経済、金融マーケットを平易な言葉で分かりやすく解説・分析、大胆な予想も。近著に『古典に学ぶ現代世界』『世界経済大乱』『世界経済 チキンゲームの罠』『コロナクライシス』など。