灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(105)
2020年6月14日

撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)
東京医科歯科大学病院に入院しているあきは、日々の疲れをとる静養気分でベッドに身体を横たえている。
「入院したのは正解だわ、うんと体が休まるの。お客さんも誰も来ないし最高の憩いの場ね」
面会謝絶としているが、あきはいたって元気だ。
終日横になっていると選挙からたまりにたまった疲れがしだいに取り除かれていくように思える。
昼間の病院の個室ではずっとラジオをつけている。流れてくる女性歌手の「朝鮮メロディー」と呼ばれる独特の節回しのパンチのきいた歌声が、少し耳障りだと思った。
「『私のパパは九段坂』、歌は藤原あきさんでした!」
アナウンサーの紹介にあきは、夢うつつの中からすっかり目が覚めた。
(あら、私と同じ名前だわ)
翌日、身内や秘書らがやって来て異口同音に、
「名付け親になった歌手の藤原あきさんっていうのが活躍しているね」
「私、名付け親なんかになっていないわよ。なぜ、わざわざ自分と同じ名前にするのよ。ありえないわ」
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