灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(107)

執筆者:佐野美和2020年6月28日
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)

「藤山オンリーの生活よ」

 今の議員生活を聞かれるとあきは必ずこう答える。

「私の選挙のスローガンは清く正しく美しくでしたけれど、これを総理として実行できるのはこの永田町に藤山しかいないのよ。トップとして藤山に血の通った政治をやらせたいわ。政治は綺麗な雑巾でね」

 選挙中から言ってきたことであるが、議員となり政治というものに内側から接していると、その気持ちはより一層強いものとなる。

 昭和39(1964)年7月に行われる、自民党総裁選に向けて藤山は一心不乱であった。

 いつも上品な姿勢を崩さない藤山の本気度は、身銭の切り具合から分る。

 井戸と塀しか残らない「井戸塀議員」とのちに呼ばれる藤山は、総裁選の前年の解散総選挙で、まず自社株を手放した。日本ナショナル金銭登録機(NCR)社の80万株10億円、日東化学社40万株、レコードの日本コロムビア社の30万株だ。

 その金が底をついたため、今度は総裁選に向けて再びまとまった原資を作らなければならない。

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