灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(108)
2020年7月5日

撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)
昭和39(1964)年10月25日の東京オリンピック閉幕とともに、池田退陣の一報を受け、藤山愛一郎は外遊最終地のワシントンから舞い戻ってきた。
羽田空港にはあきや藤山派の議員はもちろん、自民党各派閥の幹部らが盛大に出迎えた。
あきは口に出してこそ言わないが、
「好機が来た。これで9年間のウミがたまった自民党は、愛さんによって新しく生まれ変わればいい。総理大臣の顔が変わってもそれを牛耳っているのは、大磯のおじいちゃまだもの」
と吉田茂の顔を思い浮かべつつ、思わぬ展開に期待をふくらませた。
あきにとって吉田茂は、義江をロンドンでデビューさせてくれた大恩人であったが、国会議員になってからは「愛さんの総理総裁をはばむ長老支配者」としか思えない。
藤山は後継の最有力の一人とされている。
おびただしい数のフラッシュがたかれ、藤山は記者会見の席に座った。
一気に動き出した後継総裁問題について問われるが、先ほど側近の江崎真澄が藤山の乗るJAL機に入って来て、
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