すべての始まり「平成2年アフリカ大使会議」

執筆者:白戸圭一2020年7月25日
 

 

 30年前、バブルたけなわの1990年の夏は記録的な猛暑であった。東京では8月の最低気温の1カ月平均値が25.7度と、1984年と並んで歴代1位となった。

 7月19日も東京の最低気温は午前5時時点で26.9度と高く、日中の最高気温は34.0度に達した。酷暑の中、東京・霞が関の外務省記者クラブ(霞クラブ)では午後2時半から、渡辺允・中近東アフリカ局長(当時)による記者ブリーフが行われた。

 7月17日から19日まで外務省で開かれた「平成2年度アフリカ大使会議」に関する説明であった。

開示された「アフリカ大使会議」の全容

 大使会議は年に1度開催されており、この1990年の会議には、アフリカ諸国駐在の大使16人に加え、駐英、駐仏、駐国連代表部の各大使、駐米公使が一時帰国して出席し、本省からは渡辺氏をはじめ中近東アフリカ局の幹部らが顔をそろえた。

 出席者は初日の17日正午から海部俊樹首相(当時)と総理大臣官邸で昼食をともにした後、外務省に戻り、アフリカ諸国で進む民主化への対応、アパルトヘイト(人種隔離)政策を続ける南アフリカ(南ア)への経済制裁の是非、アフリカ向け政府開発援助(ODA)の在り方──などについて議論し、それは19日の昼過ぎまで続いた。

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