灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(111)

執筆者:佐野美和2020年7月26日
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)

 昭和41(1966)年8月の『週刊文春』に掲載された義江の「文春砲」、~藤原義江の結婚できない宣言~は、義江が書く自叙伝『歌に生き恋に生き』が文芸春秋で出版されることから、本の前宣伝という含みもある。

 日頃から自分のことを、

「僕は人間が薄っぺら、おっちょこちょいなのであろう。嬉しいこと、悲しいことをジッとしまっておけず、誰か自分の近くにいる気の合った相手に話してしまうのであった」

 というように、義江の口から出た女関係の話はあちらこちらに振りまかれている。

 しかし義江がすでに第一線を退いているからか、以前のように劇団内の皆がピリピリすることなく、もはや「老いらくの恋」と失笑される雰囲気でさえある。

 周囲は失笑していても、当事者の女たちにとっては重大な出来事である。

 記事の内容を見てみよう。

「若いピアニストと付き合い、すわ結婚かという事が歌劇団の中でも評判だが?」

 という質問を受けて義江は、

「僕には絶対結婚できない事情があるんだ。ぼくに身も心ささげてくれた女性が他に二人いる。その二人を捨てて、いまさら、若い娘とは結婚できないじゃないか。ね、そうだろう。

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