台湾の「公衆衛生」を築いた後藤新平(C)時事

「国家は健康体であれ――」

「国務即ち広義の衛生なり」

 今から1世紀ほど前、そんな理念を掲げて、日本と台湾で伝染病の撲滅と公衆衛生の改善に辣腕を振るった大政治家がいた。明治・大正期に活躍した後藤新平(1857~1929)である。

 後藤の功績を受け継いだ日本と台湾は、戦後も世界的に高いレベルの衛生環境を維持してきたが、今回の新型コロナウイルス問題の対応で、はっきりと明暗が分かれる形になった。その理由はどこにあるのか。

 世界最高水準の抑え込みを見せた台湾は、いまなお感染者数が500人に達しておらず、死者も7人に留まっている。一方、日本は台湾の総感染者に等しい数字を、連日、たった1日で記録している残念な状況だ。単純な比較は禁物とはいえ、その違いがあまりに大きいことに異論を挟む余地はない。

 その台湾の優れたコロナ対策については、7月2日に刊行した拙著『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)で詳細に取り上げているが、そのなかで注目すべき1つの視点として提起したのが、後藤の存在とその継承という問題だ。

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