
台湾の「公衆衛生」を築いた後藤新平(C)時事
「国家は健康体であれ――」
「国務即ち広義の衛生なり」
今から1世紀ほど前、そんな理念を掲げて、日本と台湾で伝染病の撲滅と公衆衛生の改善に辣腕を振るった大政治家がいた。明治・大正期に活躍した後藤新平(1857~1929)である。
後藤の功績を受け継いだ日本と台湾は、戦後も世界的に高いレベルの衛生環境を維持してきたが、今回の新型コロナウイルス問題の対応で、はっきりと明暗が分かれる形になった。その理由はどこにあるのか。

「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。
フォーサイト会員の方はここからログイン
