灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(112)

執筆者:佐野美和2020年8月2日
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)

 昭和40(1965)年5月に木造から鉄筋コンクリートに建て替えられた参議院議員会館の334号室があきの事務所だ。

 その翌年には砂防会館内の自民党本部が、永田町1丁目に新築したビルに移転している。

 昭和41年11月4日。

 議員会館にあきの秘書の杉浦が戻るなり、息せき切りながらたった今見てきた情景を話す。

「あき先生、先ほど藤山先生が経企庁で辞任の挨拶をしました。驚くことに、玄関に並んでいる女子職員が何人も泣いていましたよ。新聞記者もこんなにジーンときたのははじめてだといっていました」

 その話にあきは、言葉を失いしばらく目を閉じた。

「感激だわ。本当にやらせたいわね愛さんに」

 ともらした。

 この日、藤山愛一郎は経済企画庁長官の辞表を提出し最後の日を迎えた。

 これは事実上の総裁選出馬表明となる。

 3度目の出馬となるが、佐藤との一騎打ちになれば勝ち目はないというのが下馬評だ。

 藤山は何としても「黒い霧」のウミを出さなくてはならないということ、そして意地もある。

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