1950年の年画「新中国の児童」(筆者提供)

 

 新型コロナウイルス感染症問題への対応から「新型コロナ外交」、東シナ海における艦船の異常な行動、南シナ海の自国領化への強硬姿勢、インドとの国境紛争、ブータン東部地域への介入、敢えて外交的な摩擦を厭わない挑発的な「戦狼外交」、香港版「国家安全法」の制定、在成都米総領事館閉鎖まで――習近平政権が見せる性急で頑ななまでに強硬な対外姿勢の背景を考えた時、現政権世代が育った時代環境を無視するわけにはいかない。

 筆者が中国に関心を持ってから半世紀を越えるが、中国政府によるここまで強硬な内外姿勢は、文化大革命が始まった1966年から1969年の中ソ国境紛争前後までの数年間以外には思い当たりそうにない。

 この時代、社会では「造反有理」「革命無罪」が叫ばれ、共産党政権が築き上げてきた秩序は音を立てて崩れ、混乱は極点に達していた。

 国内では毛沢東絶対体制の確立を目指し、力尽くで一切の反対勢力を抑え込む一方、国際的には自らを第3世界の盟主と位置づけ、米ソ両大国を「アメリカ帝国主義」「ソ連社会帝国主義」と呼んで激しく攻撃していた。「労働人民の国際連帯」を掲げ、東欧の小さな貧しい農業国であるアルバニアとアフリカのいくつかの国を仲間に引き入れ、東西の両世界を敢えて敵に回してまでも、新たな国際秩序構築を強く打ち出していた。

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