1988年、ソウルのデモ隊と衝突する警官隊(右)。華城連続殺人事件が起きていた時代、こうしたデモに警察が頻繁に駆り出されており、厳密な操作が行われたとはいえなかった (C)AFP=時事

 

「華城連続殺人事件」の犯行を自供した李春在(イ・チュンジェ)受刑者(別の殺人事件で釜山教導所=刑務所=に服役中)は1963年1月に京畿道華城市で生まれ、地元の高校を卒業した。さる7月2日に発表された捜査本部の最終捜査結果の発表によれば、李受刑者はとても家父長的な家庭環境の中で育ったという。

 プロファイラー(犯罪心理分析官)との面談では、弟が小学校の時に溺れて死亡したことが、幼い李受刑者に大きな影響を与えたようだという。自身の感情や思いを自然に外に出すのが難しいような雰囲気の中で育った。

生き生きと軍隊生活を語る

 しかし、そうした李受刑者の環境を変えたのが軍隊だった。

 李受刑者は取り調べに対して感情を示すことなく話したが、軍隊生活については生き生きと話した。機甲部隊に属し、戦車に乗って先頭を切る自分に後続部隊が付き従うという話をする時は興奮した表情で、大きな優越感を感じたようだという。警察は、少年時代に主導的な役割を果たせなかったが、軍に入り初めて心の中の「止め金」を外したのではないかと分析した。

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