灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(114)

執筆者:佐野美和2020年8月16日
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)

「今度という今度、これこそ、今度こそ、もうこれが我が生涯最後の恋愛であると決心した」

 そう義江は心の中で叫んでは次々と女が登場してきて70歳近くになる。

 しかし義江夫妻と赤坂氷川町で同居していた息子の友人、舞台美術家の妹尾河童は、

「晩年の藤原ダンナは、いまだに多くの女性にモテているようなことを言っていたが、それは自分がそうありたいという願望の現れで、事実ではなかった。だから女性についてダンナの話で信用できるのは、せいぜい65歳までだと思う」

 と述懐している。

 粋人としてのオシャレについては義江は妹尾河童にこうも語っている。

「仕立ておろしの洋服を着るなんてェのは、恥ずかしいやね。自分が新調を意識するってェことは、洋服を着てるんじゃなくて、洋服に着られるってことだからねェ」

 と言って、10日間くらいは家で着てなじませてから外出着の仲間に入れていたという。

 ツイードのジャケットを2着作り、折り柄の中の糸が赤いのとブルーで違っているが、他の人にはわからない。

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