灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(115)

執筆者:佐野美和2020年8月23日
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)

 謎の美人占い師と言われる黄小娥(こうしょうが)が「藤原あきが死ぬ日」と予言する、昭和42(1967)年8月8日がやって来た。

 早朝からうだるような暑さで、夏に弱いあきにはとりわけ厳しい1日が始まる。

 国鉄お茶の水駅前、東京医科歯科大学付属病院8階の10畳ほどの個室には、「藤原あき」「中上川アキ」と2つの名前が出ている。

 朝7時半ごろあきは、

「今日は気分がいいから、からだをきれいにしたいわ」

 と言いだし、看護婦に手伝ってもらいながら全身をふき、髪をきちんと結いなおした。

 そして自ら薄化粧をほどこした。

 たかが占いだと思うようにしたが、されど占い。この日がどうしても気になる秘書の飯島は、藤山愛一郎と資生堂の岡内社長には、

「ご都合がついたら今日はぜひあきさんのところに来てほしい」

 と連絡をつけておいた。

 夕方5時半になるとあきは飯島に、

「もう今日は帰って、子供と遊んであげなさいよ」

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