変化する「テキサス州」の「政治地図」と民主党の「奪還戦略」
2020年8月25日
20世紀に入ってから1960年代に至るまでに行われた大統領選挙で、テキサス州は民主党候補が勝利することが圧倒的に多く、民主党に非常に優位な地域であった。
ところがその後、民主党がリベラル化する中、1968年大統領選挙で同州では民主党候補ヒューバート・ハンフリー副大統領(当時)に敗北したものの、接戦を制して勝利し、第37代大統領に就任したのはリチャード・ニクソン共和党候補であった。
そのニクソン大統領が就任後、保守派民主党員を共和党に取り込むために南部諸州において「南部戦略」を展開した結果、テキサス州をはじめとする南部の保守派民主党政治家や民主党員は同党を離党し、共和党に次々に党籍を変更していった。
その代表的政治家の1人が、テキサス州知事であったジョン・コナリー氏である。同氏は、1963年11月22日にジョン・F・ケネディ大統領がダラスで暗殺された際、同じリムジンに乗っていて銃弾を浴びて重傷を負った人物としても知られる。
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