撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)

 藤原義江の息づかいをいまだ感じさせてくれる場所に、都内では帝国ホテルや小川軒、そして山口県下関には「藤原義江記念館」がある。義江の父親、英国人ネール・ブロディ・リードが「ホーム・リンガー商会」の支店長だった関係で、幼少の頃に暮らしたゆかりの地である。

「多くの人に見てもらいたい」

 と義江を看取った三上孝子がたくさんの遺品を寄贈したものが中心に公開されている。

 記念館の一角に、義江のコレクション「銀の匙」の一部が飾られている。

 何気なく飾られているスプーンであるが、これはただの収集ではなく、1本1本に義江の抱いた女が投影されているそうだ。

(下関市「藤原義江記念館」提供、以下同)

 藤原義江記念館は、義江をめぐる女の勝者だった三上の尽力や意向が絶大なために、妻だった藤原あきや、ましてや愛人の砂原美智子との憎愛などはあまり語られず、真正面からの「我らのテナー」を伝えるが、逆に裏の見かたで来館するのも興味深い。

 昭和53(1978)年から開館するこの記念館は、関門海峡を見下ろす小さな丘にあり、昭和11(1936)年築の建物であり、昨今では運営がより大変になるので機会があれば是非訪れてほしい。

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