この不況は不妊国家を救うのか

執筆者:徳岡孝夫2009年2月号

 今年も写真付きの年賀状が何十通も来た。夫婦で赤ん坊を抱っこし、親も子もニッコリ笑っている。赤ちゃんには、たいてい奇想天外な名が付いている。名古屋郊外の女子短大で教えたときの、教え子の賀状である。 平成元年から行って五年間教えたから、二十歳で卒業した娘たちはめいめいに白馬の騎士を見つけ、いまや子育ての時代に入っている。 日本を包む少子化の暗い瀬音の中で、流れに逆らい必死に溯上する鮭の群れと思いたいが、いかんせん天下の形勢は彼女らに利あらずである。教員の一人で私の同僚だった方が亡くなり、昨年末に名古屋駅前のレストランで「偲ぶ会」を催した。集う者二十六人。元教員を除くと元学生は十八人で、うち五人は卒業時と姓が同じだった。「ウチの子、なぜ結婚してくれない?」。それは団塊の世代が二十年も前から抱いてきた謎であり悩みであり、胸中にわだかまる憤りだろう。親の苦心の甲斐あって立派に成長し、性機能も備えているはずの我が子が、なぜか結婚してくれない。男ならともかく女の子は、あと五年もすれば妊娠可能な年齢帯を通り過ぎてしまう。待ったなしである。 いま悩み怒っている団塊世代を産んだ親たち、とくに母親には、女学校以上の学歴はまずなかった。性教育はゼロだった。栄養も悪く、家には夫婦専用の寝室などなかった。川端康成の戦後文学の名作『山の音』の老いた主人公は夜中に厠に立って、息子と交合中の嫁が上げる絶頂の声を聞いている。

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