役所の「通達」は、たった1本で「法律」や「閣議決定」をひっくり返すほど強大な力を持っている(正面が文科省)
 

 日本では、「法律」や「閣議決定」は、それほど強いルールではない――。

 そう言ったら、おかしな話をしていると思われるかもしれない。「法律」は国会で定められる。「閣議決定」は閣僚全員で定められる。いずれも、最高水準の重みある規範だ。それらで定められたら強い拘束力があるに決まっている、と普通は思われているのでなかろうか。

 ところが、現実はそうではない。

「法律」や「閣議決定」よりずっと格下の規範として、各省庁の発出する「告示」や、一官僚の名前で発出する「局長通達」「課長通達」がある。これらのほうが実は強い力を持ち、「法律」や「閣議決定」をひっくり返してしまうことがしばしばある。

 これこそが、日本の行政でまかり通っている現実なのである。

法律では認められていても

 実は、加計問題で広く知られた獣医学部の規制はその一例だ。

 もともと法律で定められているのは、「学部新設には大臣の認可が必要」ということである。ところが、実際に運用されていたのは「獣医学部の新設禁止」というルールで、「国家戦略特区の特例措置として新設を認めた」ことが「ルール破り」として報じられ、それが「事件」として大問題になっていったのである。

 この件は、私は国家戦略特区ワーキンググループ委員として直接に関わったので、本当は言いたいことがたくさんある。「私の知る事実」と「報道された内容」は全く違っていたが、ここでは省き、ルールの部分にだけ着目して、わかりやすく説明してみたい。

 そもそも「獣医学部の新設禁止」はどこで定められているかというと、法律上は一切出てこない。学校教育法第4条には、「学部新設には文科大臣の認可が必要」と定められている。つまり、認可申請を出して審査を通れば学部は新設できる、というのが法律上のルールだ。

 ところが、ここで「告示」が出てくる。

「大学、大学院、短期大学及び高等専門学校の設置等に係る認可の基準」

 と題する文科省告示で(平成15年文科省告示。それ以前は、これより格下の運用基準で同様の規定が定められていた)、獣医学部の新設は一切認可しない、とされているのだ。

 現実に「獣医学部の新設を一切認可しない」という運用にするならば、本来は、法律で「新設禁止」と定めないとおかしいはずだ。ところが、国民の代表が集まる国会での議決を要する法律ではなく、文科省が勝手に発出できる告示で、「認可が必要」を「新設禁止」と書き換えてしまっていた。これが、50年以上獣医学部の新設がなかった理由なのである。

 いわゆる加計問題で政府の対応に全く問題がなかったとは、私も思わない。しかし、少し落ち着いて考えればわかるように、そもそも学部の新設は法律で認められているのであって、前川喜平元文科省次官が「行政が歪められた」と主張したのは、文科省が告示という手法で作ったルールが破られた、ということなのである。

 この構図がどのくらいの国民、マスコミに理解されているのか、はなはだ疑問である(この獣医学部問題のほか、菅政権で最重要テーマとして挙がっている規制改革については、拙著『岩盤規制 誰が成長を阻むのか』に詳しい)。

オンライン授業にかじを切った閣議決定

 このような、「法律」や「閣議決定」が「告示」「通達」によっていとも簡単にひっくり返されてしまう本末転倒の行為は、何も昭和や平成の時代にのみ行われていたことではない。令和となったごく最近でさえ、新型コロナウイルス感染拡大に対応した「オンライン授業」に関して同様のことがあった。

 4月以降、大学ではオンライン授業が一気に広がったが、休校が続く小中高校では、私立や一部地域を除き、導入がなかなか進まなかった(4月の文科省調査では、臨時休校中に同時双方向オンライン授業を導入した小中学校は5%)。

 その裏側に、この「ルールの書き換え」があったのだ。

 その前に背景を少し説明しておくと、オンライン授業はもともと、小中高校ではほとんど認められていなかった。下表を参照いただきたい。

 

 規制改革の世界ではオンライン授業は長年の課題であり、私が委員を務めた規制改革推進会議などでも、コロナ禍以前から繰り返し取り上げられてきた。だが、

「生徒たちは『教室にいて』、教室外にいる教員により行われるオンライン授業」

 にようやく風穴をあけつつあったところで、

「生徒たちが『自宅にいて』受けられるオンライン授業」

 は、まだまだこれからの段階だった。

 そこにコロナ禍が直撃して、規制改革の遅れが顕在化した。

 政府もさすがにまずいと認識して迅速な検討がなされ、4月7日に閣議決定された「緊急経済対策」では、自宅で受けるオンライン授業も「正式な授業に参加しているものとして認められるようにする」と決定された。

 前述の経緯に鑑みれば、これは画期的な前進のはずだった。

1本の局長通達で

 ところが、問題はここからだ。

 閣議決定から3日後の4月10日、文科省初等中等教育局長により1本の通達が発出された。

 さらに4月15日には、この通達に関するQ&A(うち問61~64部分)も公開された。

 ここには、以下のように記載されている。

■自宅オンライン授業はあくまで「家庭学習」との位置づけ。「家庭学習を授業そのものと認めるものではないため、授業時間数としてカウントはしない」。

■したがって、学校再開後に対面指導でやり直すことが基本。

■校長が再度指導不要と判断したときは、「対面指導で取り扱わないことができる」が、これは、休校が長期化し、「再開後にすべてを指導することがどうしても難しく、教育課程の実施に支障が生じるような事態」に備えたもの。

 つまり、オンライン授業を「正式な授業」とは認めない。しかも、例外を一切認めないとまではいわないが、原則はあくまで再開後に対面授業でやり直さなければならない、というわけだ。

 おわかりのとおり、これは前述の「画期的な閣議決定」を完全に否定し、覆しているに等しい。

 だが、そうはいっても自治体・学校にとっては、文科省の指導が絶対的であり、従わないわけにいかない。この時点で、閣議決定のほうが空文化してしまったわけだ。

 どのみち学校の再開後に教室の授業でやり直さないといけないのでは、多くの自治体・学校がわざわざオンライン授業に踏み切らないのは無理のないことだったのである。

 もちろん、オンライン授業を急遽導入しようとすれば、現場では実務的な課題が膨大にある。すべての学校で迅速に導入できるわけではない。文科省はおそらく、自治体や学校ごとの格差が生じる可能性をおそれ、それぐらいなら原則すべて抑え込んでしまおうと考えたのだろう。

 だが、結果として、一部の私立の学校や塾ではオンラインの活用が進み、公立と私立、塾に通う子と通わない子の間の学習格差が大きく広がることになってしまった。

 公教育での不平等を嫌う文科官僚の気持ちはわからないではないが、ともかく、だからといって、閣僚たちの合意した「閣議決定」を役人が「通達」1本であっさりひっくり返していい理由にはならない。

 安倍晋三前政権では「官邸主導」が強すぎ、それを継承した菅義偉政権でも、役人は官邸に忖度し、萎縮しているというのが今のマスコミ報道の通り相場だが、現実にはこのように、至るところで「官僚主導」が蔓延っているのである。

菅政権でデジタル教育は進むか

 デジタル教育に話を戻すと、課題は、本当はまだまだある。

 現在懸案になっているのは、いわゆる「同時双方向型」のオンライン授業だ。教室での対面授業をテレビ会議方式に切り替えるだけのことで、学校以外の世界ではとっくに当たり前になされていることだ。それさえも、規制と通達の壁でなかなか進んでいない。

 だが、デジタル教育が本当に価値を発揮するのはその先だ。

 伝統的な学校では教室で一斉授業がなされ、分かった子も分かっていない子も同じ時間に同じ授業を受けてきた。いわゆる「落ちこぼれ」「吹きこぼれ」(理解が早いために授業につまらなさを感じる)の問題をなかなか解決できずにきた。これを飛躍的に改善できるのがデジタルだ。生徒たち個人の理解・習熟度に応じ、個別に最適な教育を提供することが可能になるからだ。

 そこまで進むには、また更なる規制の壁が立ちふさがる。

 学校教育法令では、伝統的な一斉授業を前提に科目・学年ごとの「標準授業時間数」が定められている。子どもの理解度に応じて時間配分を組み換えようとしても、この制約に阻まれる。また、デジタルで教材を利用しようとすれば、教室でのプリント配布とは異なる著作権の扱いが求められる。さらに、生徒ごとのそれぞれの学習データをデジタル処理しようとすれば、個人情報保護条例に引っかかる。このほか、数々の課題を解決しなければならない。

 菅政権は発足後早々に、「デジタル教育」を今後の優先課題の1つと位置付けた(9月23日デジタル改革関係閣僚会議)。

 デジタル技術でとっくに可能になったことがこれまでは規制で抑え込まれてきた。現状を打ち破り、改革が大きく前進することを期待したい。

 ただ、首相や大臣がいかに旗を振っても、役人の通達1本でひっくり返されているのでは規制改革は進まない。「法律や閣議決定より通達が強い」との構造を打ち破れるかどうかも、焦点の1つだ。こうした政治と官僚との関係については、8月19日に刊行した経済学者・高橋洋一氏との共著『国家の怠慢』で論じた。関心がある方はご覧いただきたい。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。