アゼルバイジャンvs.アルメニア紛争激戦地「ナゴルノ・カラバフ」因縁の歴史
2020年10月6日
旧ソ連地域のいわゆる「凍結された紛争(フローズン・コンフリクト)」の代表的事例であるナゴルノ・カラバフ紛争が、火を噴いている。
様々な報道がすでになされているが、ここでは基本的なポイントについて記しておこう。
名称の成り立ちからして複雑
ソ連時代、アゼルバイジャン共和国の内側に、アルメニア人住民が多数を占めるナゴルノ・カラバフ自治州が設置された。この地域の帰属を巡るアゼルバイジャンとアルメニアの争いが、いわゆるカラバフ紛争である。
紛争の背景は極めて複雑である。
コーカサス地方は黒海とカスピ海の間にある多民族地域であり、歴史的に地域を跨いで様々な民族が混住してきた。
「ナゴルノ・カラバフ」という名称自体、複雑な成り立ちで、ロシア語、トルコ語、ペルシア語の3つの言語の語彙が混ざっている。「ナゴルノ」はロシア語で高地を、「カラ」はトルコ語で黒を、「バフ(バーグ)」はペルシア語で庭を意味する。
カラバフすなわち「黒い庭」は肥沃な土地に由来するとも言われるが、中世以来、なだらかな低地はトルコ系遊牧民が、高地はアルメニア系土豪が支配していた。
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