朝廷に抵抗した隼人の首領とされる「弥五郎どん」。鹿児島県曽於市大隅町の岩川八幡神社では毎年11月3日、5メートル近い巨体が練り歩く「弥五郎どん祭り」が行われる(筆者撮影)
 

 古代にも、差別はあった。自然発生的なものと、政治的な要因がある。

『魏志倭人伝』に、無視できない記事がある。倭の使者が中国にやってくる時、持衰(じさい)なる者を同乗させた話だ。

 持衰は髪をとかせず、シラミも捕らせない。服は洗わず、肉を食べず、女性を近づけず、葬儀のような状態にする。旅が無事に終われば褒美に金品や奴婢を与えるが、使節が病にかかったり、あるいは暴風雨に遭遇すると、「持衰の行いが悪いから」と、殺してしまう(人柱、人身御供)のだという。どうやって持衰を選んだのか、詳細は記されていないが、この習俗と信仰は、究極の「いじめ」に思えてくる。

『日本書紀』神代上第七段一書第三には、天上界で乱暴狼藉を働いて嫌われるスサノヲの話が出てくる。

 その時は長雨で、スサノヲは青草を束ねて笠と蓑(みの)を作り、それを着て、神々に宿を乞うた。みな、穢れた者としてスサノヲを追い払った。

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