2003年、市民団体「政界の子どもと人権」のMIEセンター(パリ郊外クレムラン・ビセートル)で、教師(右端)からフランス語を学ぶ子どもたち(筆者撮影、以下同)

 

 「パリ11区ニコラ・アペール街」と聞くと、フランスでテロ問題にかかわる人ならピンとくる。バスチーユ広場近くの下町に位置するこの通りの10番地に、風刺週刊紙『シャルリー・エブド』編集部がかつて入居し、2015年1月7日にイスラム過激派テロの標的となったからである。

 この地番で、編集部内の10人とビルメンテナンス会社の1人が殺害された。事件は、表現の自由に対するイスラム過激派の挑戦として、またその後フランスやベルギーで相次いだ大規模テロの連鎖の始まりとして、世界の注目を集めたのだった。

『シャルリ―・エブド』襲撃事件から間もない頃の二コラ・アペール街(編集部は正面左手奥)。犠牲者を悼む花束が絶えなかった

 それから5年半あまりの今年9月25日、同じ場所で、再びテロが発生した。道端にいた人々を男が刃物で襲い、2人にけがを負わせたのである。場所が場所であり、また『シャルリー・エブド』事件を巡る裁判が開廷中の折でもあり、大きなニュースとなった。

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