住吉大社の神事は、もとは天香具山の埴土を用いていたのだが……(第三宮。筆者撮影、以下同)
 

 天香具山(奈良県橿原市)を巡る不思議で貴重な縁とヒントを得たので、説明しておきたい。天香具山は大和三山のひとつで、古くは「ヤマトの物実(ものざね)」と称えられ、古代ヤマト政権がもっとも重視した霊山だ。

 住吉大社(大阪市住吉区)と天香具山の話である。なぜ住吉大社は天香具山で行っていた祭祀を、畝傍(うねび)山(橿原市)で行うようになったのか。今も毎年、住吉大社から畝傍山麓の畝火山口神社に使者が遣わされ、畝傍山の「埴土(はにつち)」をもらい受け、祭事を行うのだ。埴土は、コロコロとした粒状の土で、畝傍山中の秘密の場所に毎年「できあがっている」のだという。じつは、この土を分析したら「コフキコガネ」という虫の糞だった。

 それはともかく、この神事、もともとは天香具山の埴土を用いていた。神武天皇が南部九州からヤマトに入った時、強敵の出現に困り果てていると、神託が下りて、天香具山の埴土で土器を造って神を祀ればよいと知らされたのだ。

 天平3年(731)の奥書のある『住吉大社神代記』によれば、その昔、住吉大神が神功皇后に詔して、「皇統の危機に際し、天香具山の土を用いて私を祀れ」と命じたのだという。神武の故事にちなんで住吉大社が神事を継承したのだ。

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