汚染水「海洋放出」政府方針で置き去りにされる「福島・相馬」漁師たちの怒り
2020年11月30日
夏休みの思い出が深い郷里、福島県相馬市の浜を「取材」で訪れるようになったのは、2011年3月11日の東日本大震災からだ。
大津波から2週間後、名産の春告げ魚コウナゴの漁を前にして岸壁に打ち上げられた漁船、がれきに埋まる旅館街、漁師町の廃墟を眺め、出会う人に知人の安否を尋ねた。当時編集委員を務めていた『河北新報』には、古里が被災地になった同僚が多く、「取材者であり当事者」との宿命を背負って報道を続ける記者の1人に、筆者もなった。
相馬の漁師は、漁の腕と技術の高さ、勇敢さで知られ、津波が到来する時間を予測して100隻近い漁船が沖出し(避難)を敢行した。
だが、津波後すぐの再起を目指した漁師たちは、約45キロ南の東京電力福島第1原子力発電所の事故に追い打ちをかけられた。東電は事故後の4月4日、原発から1万1500トンもの汚染水を、福島県漁業協同組合連合会(漁連)へ事前説明もなく海に放出。漁場の汚染と風評の広がりで、漁連は操業自粛を強いられた。
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