【特別コラム】コロナと生きるということ(5)対立する世界のなかで
2021年1月3日
新型コロナウイルスが発生したことを私たちが知ったのは、「中国、武漢で爆発的な感染」というニュースに接したときだった。当時は、コウモリのもつコロナウイルスが人間に感染したと伝えられた。
だが、今日では訳がわからなくなっている。中国発のウイルスの可能性が高いと私は思っているが、中国はそれを否定するキャンペーンを繰り広げている。といっても中国の報道を信じる人は中国人しかいないだろう。
しかし、気づかないうちに最初に発生していた国があったのではないか、という質問を受ければ、私たちは答える術をもたない。たとえば日本で、感染しても誰も気づかないほどに毒性の弱いウイルスが発生し、観光客などをとおしてそれが中国に渡り、武漢で変異して毒性を増したのだという研究結果が、誰かから発表されたとしよう。この場合、その説が正しいかどうかは判断しようがない。
感染症とは、そもそもそういう一面をもっているのである。だから世界的に拡大してしまったいまとなっては発生源を特定するのは意味がなく、あるとすれば、どのようなプロセスを経て新型コロナウイルスが発生したのかを解明する、そのことによってさらに新しいコロナウイルスが発生する可能性を探る、あるいはそれを防止する方法を考えるということでしかない。すなわちそれは、疫学的な課題なのである。
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