アルメニアで行われた戦争犠牲者の追悼行進(C)EPA=時事
 

 先日、「民族紛争、宗教対立、守られない停戦合意、周辺国の介入は?どこへ向かうのか?難民は?人びとの暮らしは?未承認国家とは?」という大きなお題をいただいて、2020年9月27日から始まった第2次ナゴルノ・カラバフ戦争について講演を行った。

 本稿は筆者なりの回答であり、歴史的経緯をしっかりと把握すれば、「貧しい地域での民族間の宿命的な利権を巡る争い」といった印象論が全くの誤解であることは、分かっていただけると思う。

 なお、あくまで地域専門家としての歴史を中心とした概観と若干の感想であり、戦争そのものについては小泉悠氏の記事などを参照されたい。

 また、戦争の最中に記した前稿(アゼルバイジャンvs.アルメニア紛争激戦地「ナゴルノ・カラバフ」因縁の歴史)も合わせてお読みいただければ幸いである。

なぜ幾度となく戦火に晒されてきたのか?

 今回の戦争が起こったのは、旧ソ連邦アゼルバイジャン社会主義共和国ナゴルノ・カラバフ自治州を中心とするエリアである。新聞報道などでは「ナゴルノ停戦」などの見出しが躍っていたが、「ナゴルノ」はロシア語で「高地」を意味するので、省略は報道の宿命とはいえ、「高地停戦」ではあまり意味をなさない。

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