2014年12月、H2Aロケットに搭載された小惑星探査機「はやぶさ2」は、宇宙へと旅立った(写真)。その技術を生かすことこそ必要 (C)時事

 

 陸上配備型イージス・アショアの秋田配備断念に伴って、代替手段論議がかまびすし かったが、海上自衛隊イージス艦搭載型に落ち着きそうだ。

 幸いなことに、安倍晋三前首相退陣後、戦争を仕掛けることになる「敵基地攻撃能力」論が下火になりつつある。しかしもう一方で、「対弾道ミサイル防衛装備」は米国依存から離れられないでいる。

断念せざるを得なかった国産戦闘機開発

 現在、F-2支援戦闘機の後継機種は、国産開発の方向付けがなされたものの、米国航空機産業の協力が前提にある。

 F-2は、1980年代半ばの機種選定にあたり、「将来の防空戦闘機は純国産、独自開発」を目標に、東京工業大学卒業で工学博士、航空自衛隊の職歴では技術畑一筋の大村平空将(元航空幕僚長)を据え、実現に乗り出した経緯があった。

 大村は、この機会をとらえ、日本防空の基本に立ち返って戦闘機の必要性およびその役割を考え直そうとした。

 その方針は、マルチロール戦闘機の研究開発(以下「R&D」という)であった。大村は、当時の米空軍参謀長ラリー・ウェルチ空軍大将に対し、内々に「次期戦闘機のR&Dについて話したい」旨を伝え、日本への招待を打診した。ウェルチは快諾、日本での日米空軍トップ会談で「日本の国産戦闘機開発」が持ち出され、「プロジェクトへの関心と理解を共有」することになった。

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