聖徳太子の死は繰り上げられた? 「二つの薨年」と『日本書紀』の歴史抹殺
2021年3月20日
今から30年ほど前、とあるテレビ局の深夜番組で「聖徳太子」が取りあげられた。駆け出しのもの書きだった小生だが、聖徳太子にまつわる書籍を上梓していて、プロデューサーの目に止まったのか、ゲストとして呼ばれた。トーク中「聖徳太子は実在しない」と持論を展開したが、古代史の大御所にさんざん批判され、アナウンサーからも、ひどい仕打ちを受けたのを覚えている。総スカンを食らったのだ。共演者の佐治芳彦氏が収録後、絞り出すようにもらしたその一言は、今でも忘れられない。
「聖徳太子を語ることはね、史学界では、タブーなんだよ」
同情してくださったのだろうか……。その時は、言葉の意味が、よく飲み込めなかった。しかし、今はよくわかる。「聖徳太子の正体を暴かれることを恐れている人びとは実在する」のだ。小生は、知らぬ間に地雷を踏んでいたわけだ。
千年もの間、法隆寺東院伽藍・夢殿の中に、聖徳太子等身像=救世観音が、ミイラのような姿で秘仏として封じこめられていた。聖徳太子は、夢殿に幽閉されたまま近代を迎え、フェノロサや岡倉覚三(天心)らの手で、発見され、解放された。聖徳太子の正体を巡る知られざる暗闘の歴史と闇は、深く長い。
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