磯長谷の叡福寺・聖徳太子の御廟。叡福寺では、朝廷の庇護を受けてこなかったことを今でも誇りにしているという(筆者撮影、以下も)

 今から30年ほど前、とあるテレビ局の深夜番組で「聖徳太子」が取りあげられた。駆け出しのもの書きだった小生だが、聖徳太子にまつわる書籍を上梓していて、プロデューサーの目に止まったのか、ゲストとして呼ばれた。トーク中「聖徳太子は実在しない」と持論を展開したが、古代史の大御所にさんざん批判され、アナウンサーからも、ひどい仕打ちを受けたのを覚えている。総スカンを食らったのだ。共演者の佐治芳彦氏が収録後、絞り出すようにもらしたその一言は、今でも忘れられない。

 「聖徳太子を語ることはね、史学界では、タブーなんだよ」

 同情してくださったのだろうか……。その時は、言葉の意味が、よく飲み込めなかった。しかし、今はよくわかる。「聖徳太子の正体を暴かれることを恐れている人びとは実在する」のだ。小生は、知らぬ間に地雷を踏んでいたわけだ。

 千年もの間、法隆寺東院伽藍・夢殿の中に、聖徳太子等身像=救世観音が、ミイラのような姿で秘仏として封じこめられていた。聖徳太子は、夢殿に幽閉されたまま近代を迎え、フェノロサや岡倉覚三(天心)らの手で、発見され、解放された。聖徳太子の正体を巡る知られざる暗闘の歴史と闇は、深く長い。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。