ヤマトタケルは東征の帰り道、草薙剣を尾張に残して伊吹山に向かった (筆者撮影、以下も)

 2021年4月中旬、ひょんなことから、上方落語の重鎮で古代史に造詣の深い桂米團治[よねだんじ]師匠とともに伊吹山[いぶきやま](滋賀県と岐阜県の県境)に登る機会を得た。KBS 京都ラジオの「本日、米團治日和。」に出演した翌日のことだ。じつは、伊吹山に登るのは初めてだった。気づかされたことは、いっぱいある。

 標高は1377メートルと、想像以上に高く、まだ雪が残っていた。冬の北西の季節風は日本海から吹き抜け、伊吹山や関ヶ原に大雪をもたらす。

 驚いたのは見晴らしで、眼下に琵琶湖が、そして関ヶ原の古戦場、濃尾平野、遠くには白山、御嶽山が確認できる。「天下を取ったかのようだ」と思えるほど雄大だ。高良山(福岡県久留米市)に登った時の記憶が蘇った。しかも一帯は、流通の巨大なジャンクションを形成していた。東西の陸路だけではない。琵琶湖を利用すれば、日本海から太平洋に抜けられた。瀬戸内海に行くなら、宇治川(瀬田川)を下ればよい。物流と戦略という視点で見て、一帯は日本列島のヘソにあたる。

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