連載小説:裂けた明日 第6回

執筆者:佐々木譲2021年6月5日
写真提供:時事

自分を頼って逃げ延びてきた旧友の娘と孫。信也は二人の命を救うため、逃亡を手助けしようと心に決める。

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 白み始めた九月の空の下を、東に向かって走った。

   阿武隈川にかかる安達ヶ橋を渡った。次は県道六二号をめざすのだ。原町二本松線とも呼ばれている道路だ。進むにつれ、道路は少しずつ山間部に入った。

 沖本信也は、ときどき助手席の酒井真智を見た。彼女は肩を強ばらせている。緊張していた。脱出についてももちろんだろうが、ほとんど見知らぬ他人同様の信也に、脱出の手助けを頼んだことを、いくらかは後悔しているのかもしれない。彼女は、信也を信用するだけの根拠は持ち合わせていないのだ。ただ、信也が自分の母親と若いころに友人だった、という話だけしか、信じる理由はなかった。信也の人柄も、戦争前の支持政党も、戦争への態度も、彼女は知らない。不安は当然だった。

 道路は、浅い谷間を、大きなカーブを繰り返しながら、少しずつ標高を上げている。もっとも、阿武隈高地自体がさして標高のある山地ではなかった。最高峰でさえ、一千二百メートル弱の大滝根山なのだ。中部地方の山岳地帯の山塊とはまったく景色が違っている。この高地には、深い渓谷も、急峻な峰も、そそり立つ岩の壁もない。谷は十分に水田やそのほかの農地を拓けるだけの広さがあるし、現れては後ろに消える小さな山も、浸食の後に残った残丘と呼ばれるものだった。高原と言えるほど平坦ではないが、山地と呼ぶには起伏が少ない隆起準平原が阿武隈高地だった。

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