縄文時代に日本へ移入された大陸文化は北に偏る特徴がある (「大湯環状列石」筆者撮影、以下も)

「北海道・北東北の縄文遺跡群」の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産への登録は、国内候補(暫定リスト)に載ってから10年以上経過してようやく認められた。喜ばしい限りだ。

 これらの遺跡群は、「古さ」も売りだが、スケールの大きさにも注目してほしい。たとえば、大湯環状列石(秋田県鹿角市[かづのし]は、ふたつの環状列石から構成されていて、直径は44メートルと52メートルある。最大200キログラムの石を数キロメートル先の河原から運んできて並べている。

 北海道の縄文遺跡も、侮れない。キウス周堤墓[しゅうていぼ]群(千歳市。縄文時代後期後葉の集団墓)は、掘った土で巨大なドーナッツ状の周堤を造っている。9基の周堤墓の中で最大のものは、直径83メートルに達する。縄文人たちの企画力に驚かされる。

 遺跡群の中でもっとも有名なのは、三内丸山遺跡(青森県青森市)だ。なぜこの遺跡が注目されたのかといえば、野蛮で、未開と信じられていた縄文時代が、想像以上に進んでいたことを、世に知らしめたからだ。

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