保安局長から政務長官に異例の昇進を果たした李家超氏(C)EPA=時事

 

公務員組織の最高位

 政務長官は返還前には布政司と呼ばれ、当時は「行政長官」と邦訳されてきたポストである。これは現在の政府トップの行政長官とは異なり、ロンドンから派遣されてくる総督を補佐する直属の部下であると同時に、香港の公務員組織の最高位とされた地位である。

 植民地統治の時代、香港では民主化が遅れ、民選政治家が行政府の高官を務めることはなかった。このため、公務員の高位の者は行政官の仕事に留まらず、総督とともに行政評議会という内閣に似た組織に加わり、高度な政治決定にも参与した。

 このような重要ポストであるため、イギリスは長年、布政司に華人をつけることはなく、イギリス人に務めさせてきた。しかし、返還を目前にした1993年、脱植民地化の一環として、当時のクリストファー・パッテン総督は初めて華人の陳方安生(アンソン・チャン)を布政司に抜擢。陳方安生は返還と同時に、初代の政務長官に就任した。

初代政務長官・陳方安生

 1989年の天安門事件後の1992年に着任した「最後の総督」パッテンは、民主化を加速させようとして中国政府と激しく対立した。このため、返還後の香港政治は不安視されていた。そんな中、民主的価値観を擁護する立場から、欧米メディアに「香港の良心」とも称された陳方安生が返還を跨いで政府ナンバー2に留まることは、多くの人々にとって安心材料であった。

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