中東の20年前と現在との違いといえば、メディアの双方向性の度合いが著しく上がったことがある。これは中東の一般市民が、国による上からのテレビ放送や統制された新聞による世論誘導を回避して、スマートフォンで撮影した映像をSNSで発信できるといった、「アラブの春」で顕著となった、中東社会内部での双方向性の増大だけではない。外部の専門家が、中東の情報を収集し分析するだけでなく、自ら中東に向けて発信できるようになった、むしろ発信することを求められるようになった、そのためのメディアが多言語で用意されるようになった、という点でも、隔世の感がある。

かつての中東専門家、その典型的な例は「アラビスト」だが、戯画化すると多くは口髭を生やした男性で、中東諸国の政府や諸勢力がアラビア語の新聞や放送で発信するアラビア語のニュースや論評を遠く離れた国で傍受し、あるいは現地社会に入り込んで街頭で入手し、文脈・行間を裏の裏まで読んで、為政者の真の意図や、世論の動向を嗅ぎつける、といったものであった。

現在もそのような作業は地道に行われ続けており、依然として必要な作業ではあるのだが、時代は大きく変化している。中東は完結した世界ではなく、中東側もこちらを見ている。遠い東アジアから中東を見ている者たちは何を見ており、何を考えて中東を見ているかを知りたがるのである。

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