スサノヲ篇(1)
なぜ今、スサノヲなのか

執筆者:関裕二2021年8月29日
浮世絵の題材としても人気の高かったスサノヲ(月岡芳年『日本略史 素戔嗚尊』)

 どうしても、スサノヲを書きたかった。古代史のなぞを探りつづけて、多くの秘密をスサノヲが背負っていることに、ようやく気づいたからだ。

スサノヲは正統な神だからこそ邪魔になった?

 神話の主役といえば、誰もがアマテラス(天照大神)を思い浮かべるだろう。伊勢内宮[ないくう](三重県伊勢市)に祀られる女性の太陽神だ。記紀神話の構成も、天皇家のもっとも大切な祖神の一柱に、アマテラスを据えている。

 しかし、日本神話の中で、スサノヲは異彩を放っている。イザナキから生まれた三貴子(天照大神、月読尊、素戔嗚尊)の内の一柱だから、というわけではない。スサノヲは「もっとも神らしい神」なのだ。

 スサノヲは天上界(高天原)で暴れ回り、追放された。ところが地上界に舞い下りると、八岐大蛇[やまたのおろち]を退治し、出雲建国の礎を築いた。この「暴れる恐ろしい神なのに、人びとのために活躍する」存在こそ、多神教的世界における象徴的な神の姿で、神話の中でスサノヲが、その役目を負っている。

 太古の日本人が拝んだ神々は、二面性をもっていて、「善悪」を超越していた。災害や疫病を振り撒く一方で、恩恵をもたらすという矛盾する属性を備えていたのだ。現代人には理解しがたい神の姿だが、「神は大自然そのもの」と考えると、わかりやすい。台風や雷、地震、火山の噴火は人々を苦しめる。大自然の猛威こそ神であり、人びとがひたすら神を祀り、怒りを鎮めることによって、恵みをもたらす存在に裏返るのだ。神が暴力的であるほど、たくさんの幸をもたらす神に変身すると信じられていた。基本的に神は祟る存在(鬼)で、これを鎮めるのが、日本人の信仰=神道の出発点だった。

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