アフガニスタンからの米軍の撤退と、ターリバーン勢力の全土・首都カーブル制圧をめぐって、米国の国内政治の文脈でも、日本など米同盟国の国内政治・外交安全保障論の文脈でも、話題が沸騰しており、それらは重要だが、やや極論を言えば、「負け戦での撤退のやり方と責任の所在」をめぐる不毛な議論に見えないこともない。
それよりも私が集中しているのは、過去20年の米国の対アフガニスタン介入・関与政策の全体像、さらにはイラク戦争を含む「対テロ戦争」の全体像であり、それが残したものへの振り返りである。また、我々の前には何が残されたのか。何を受け継ぎ、生かしていくべきかへの考察である。
近年の大学教員に集中する極端な量の書類作成・事務連絡業務の多さにほとんど溺れるようになりながら、隙間の時間を無理矢理にこじ開けて、長期的な考察に戻るのは難事であり、切れ切れにこの欄にノートを残していくことをお許しいただきたい。そうでなければこれらの考察は時期を逸し、公刊されることもなくなってしまうだろうと恐れる。
また、「20年」というフレーズを「中東通信」で繰り返し用いることにも読者の皆様はどうかご寛恕いただきたい。個人的にも、9・11事件以来の20年の「対テロ戦争」の国際政治に、実務家ではなく研究者の自由な立場からではあるものの、否応なく関わることになり、職業人生の大半を費やしてきた。ここ『フォーサイト』での様々な連載で破格の紙幅を割いていただいてきたのも、「対テロ戦争」が国際政治の主要課題だったからであり、これがなければ私の文章は一つたりとも読者に届いていなかったかもしれない。その時代が終わったのだということを噛み締めながら、やや若輩者ながら「時代の証人」の役割を担っていきたい。
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