8月31日の午前0時(アフガニスタン現地時間)、米軍がカーブル撤収を終え、ターリバーンが20年ぶりにアフガニスタンの支配者となった

ここで外交的地位を上昇させているのが、湾岸産油国・天然ガス大国のカタールである。2001年にターリバーンは政権を追われ、指導者は各地に隠れたが、その一つの受け入れ先となったのがカタールのドーハだった。

米国主導の「対テロ戦争」の間、米国の黙認の下で、カタールは一部のターリバーン指導者や有力構成員をドーハに匿ってきた。これはターリバーンに対する敵視や風当たりが強い時には「テロリストを匿っている」という非難を欧米諸国の一部や競合する湾岸産油国(サウジ・UAEなど)から受けたが、欧米やカーブルの政権の側にターリバーンとの対話の機運が出てくるたびに、ドーハを舞台に欧米やカーブルの政権との橋渡しを行い、非公式・公式の協議を提供してきた。

2013年6月に、ターリバーンはカタールに政治事務所を設立したと声明を出している。

カタールはターリバーンの「政治部門」あるいは「公然部隊」に、欧米諸国の黙認の下で安全地帯とオフィスを提供し、欧米に対する外交カードとしてきた。カタールが投資して育ててきた外交資産が、ターリバーンの全土席巻とそれを黙認した米軍の撤退を受けて、現在、高値で売買されている状態だ。カタールと対立してきたサウジアラビアやUAEに対しても、ターリバーンとのコネクションは「売れる」カードになりつつある。

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