福田赳夫の軌跡が問う「言葉の政治」の価値と「保守とは何か」

五百旗頭真監修『評伝 福田赳夫』(岩波書店)を読む

執筆者:河野有理2021年9月13日
福田赳夫(1905~1995)©時事

人に対するに「流線形」

 ある種のフィクサーとして戦後政治の裏面を知り尽くした福本邦雄は、その回顧録『表舞台 裏舞台』で、福田赳夫の印象を「流線形」と評している。回想の場面は宴会、椎名悦三郎との比較である。改まった場での演説は苦手だった椎名だが、私的な宴席に「ドカッと」腰を据えて語るその座談には独特の魅力があった。それはやせぎすの身体をおして座敷から座敷へと高速でハシゴする福田の「流線形」の姿と対照的であった、というのである。

 岸信介内閣当時、官房長官を務めた椎名の秘書官だった福本の筆がおのずと椎名に甘くなっていることは否めない。だがそれを差し引いてもこの「流線形」という評語は福田という政治家の本質についてやはり何ごとかを語っているのではないか。『評伝 福田赳夫』(岩波書店)を読了して、改めてそう思った。

 

 人に対するに「流線形」をもってした福田が最後まで持ち得なかったのは、並走ないし伴走してくれる仲間であり腹心の部下であった。そのように言えば、人は即座に反論するだろう。岸の派閥を継承したのは椎名ではなく、福田であった。椎名派はその最盛期ですら20名を超えず、それに対し福田派は当時も、そしてその後それが岸の娘婿・安部晋太郎に継承され、今の清和研(会)に至るまで常に大派閥であり続けてきたではないか、と。

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