マレーシア政情不安が招く「中国の浸透」

執筆者:久末亮一2021年9月29日
首相に就任したイスマイルサブリ氏(C)AFP=時事

 2021年8月16日、マレーシア統一プリブミ党(PPBM)のムヒディン・ヤシン首相が辞任表明し、8月20日に統一マレー国民組織(UMNO)出身のイスマイル・サブリ・ヤーコブが国王から首班指名され、首相に就任した。これによって3年ぶりにUMNOが首相の地位を奪還した。

 近年のマレーシアでは、政権が短命に終わるケースが繰り返されているが、この傾向は今後も継続する可能性が高い。なぜなら、それは1980年代から21世紀初頭まで続いた、マレーシア政治の構造的な「負の遺産」が遠因となっているからだ。

マハティール長期政権時代の「負の遺産」

 マレーシアでは1981年から2003年まで、マハティール・モハマドの率いるUMNOが党内対立や野党勢力を抑え込みながら、圧倒的な影響力で長期政権を担ってきた。その長期政権の中で、縁故や利権を基本とする政治文化が構造化した。

 2003年にマハティールは穏健篤実なアブドラ・バダウィ副首相に首相職を禅譲。UMNOは翌年の総選挙で大勝したものの、2008年の総選挙では安定多数確保に失敗した。その背景には、アブドラ個人への高評価とは別に、UMNOの長期政権で構造化した縁故・強権主義への批判、経済失速などがあった。

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