被告の名は「金正恩」(1):北に渡った少女が見た「地上の楽園」の真実

帰還脱北者が語る北朝鮮

執筆者:2021年12月23日
人々は盛大な見送りを受けて北朝鮮へ向かった ©時事

 

日本で生まれ育ち、北朝鮮へ「帰った」少女

 子どもの頃、両親同士は家の中では朝鮮語で話していましたから、自分の親が日本人ではないということは知っていました。ただ、私は朝鮮半島のことなんて何一つ知りませんでしたし、最初から「川崎栄子」という名前で日本の学校に通っていました。川崎という苗字は、戦前に父が創氏改名で名乗り始めた苗字です。ですから私自身は、ごく普通の“日本の女の子”として育ったんですね。

 そんな私が、高校からは朝鮮高校に進学することになりました。私はもともと勉強が好きで、中学では進学クラスにいました。当時はまだ、受験のための学習塾みたいなものはほとんどなくて、進学クラスの生徒には夏休みなどを利用して学校で補講が行われていました。社会科が得意だった私は、その補講で先生に代わって同級生たちに社会の授業をしていたんです。それくらい勉強が好きで、得意でもありました。補講の最後の日、先生が「川崎、ご苦労だったね。よくやってくれた」と言って、ご褒美に当時の最新版の世界地図帳を下さいました。すごく嬉しくて、後に北朝鮮へ渡る時もそれを持って行ったくらいです。

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