日本で生まれ育ち、北朝鮮へ「帰った」少女
子どもの頃、両親同士は家の中では朝鮮語で話していましたから、自分の親が日本人ではないということは知っていました。ただ、私は朝鮮半島のことなんて何一つ知りませんでしたし、最初から「川崎栄子」という名前で日本の学校に通っていました。川崎という苗字は、戦前に父が創氏改名で名乗り始めた苗字です。ですから私自身は、ごく普通の“日本の女の子”として育ったんですね。
この続きは会員登録をすると読むことができます。
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。
フォーサイト会員の方はここからログイン