私が小学生だった頃、日米安保条約の改正があった。1960年のことである。このときは新安保条約への賛成、反対をめぐって国論が二分したといわれ、連日、数万人規模のデモ隊が国会を取り巻いて反対の声を上げていた。この状況のなかで、自民党による強行採決が5月におこなわれ、翌日からは民主主義は死んだとか、民主主義を守れという主張がさまざまな場所から発せられた。小学校の教室のなかでさえ、それは議論になったほどである。

民主主義という「憂鬱」

 民主主義を守れという主張。それを私たちは何度耳にしてきたことだろうか。今日でもこの主張はきこえつづけている。1960年頃と比べるなら、この主張がもつ力強さはかなり低下しているが。

 もっとも1960年頃においても、異なる視点からの考察もおこなわれていた。たとえば作家の埴谷雄高、谷川雁、哲学者の梅本克己たちによって『民主主義の神話』(1960年、現代思潮社)が刊行されている。民主主義がもつ虚構性を追求した本であったが、当時の学生などには、この本の方が親しみがあったのかもしれない。

 だがこの視点からの民主主義論は、その後に深められることもなく今日にいたっている。民主主義を守れという主張が内容を深めることなく語られつづけているのと同じように、である。

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