【特別コラム】近代という「神話」の終焉(4)
中央権力と民主主義の欠陥

執筆者:内山節 2022年3月13日
 

 私が小学生だった頃、日米安保条約の改正があった。1960年のことである。このときは新安保条約への賛成、反対をめぐって国論が二分したといわれ、連日、数万人規模のデモ隊が国会を取り巻いて反対の声を上げていた。この状況のなかで、自民党による強行採決が5月におこなわれ、翌日からは民主主義は死んだとか、民主主義を守れという主張がさまざまな場所から発せられた。小学校の教室のなかでさえ、それは議論になったほどである。

民主主義という「憂鬱」

 民主主義を守れという主張。それを私たちは何度耳にしてきたことだろうか。今日でもこの主張はきこえつづけている。1960年頃と比べるなら、この主張がもつ力強さはかなり低下しているが。

カテゴリ: 政治 社会 カルチャー
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執筆者プロフィール
内山節(うちやまたかし) 哲学者。1950年、東京生まれ。群馬県上野村と東京を往復しながら暮らしている。著書に『「里」という思想』(新潮選書)、『新・幸福論』(新潮選書)、『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)、『修験道という生き方』(共著、新潮選書)、『いのちの場所』(岩波書店)、『内山節著作集』(全15巻、農山漁村文化協会)など多数。
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