出雲大社本殿真裏の素鵞社[そがのやしろ]。大国主神が国譲りを承諾した稲佐の浜の砂を掻いて、この社の床下に奉納する慣習がある(筆者撮影)

 ロシアのウクライナ侵攻は「世界の終わりのはじまり」を予感させて、憂鬱になる。文明は、時に狂気に化ける。

スサノヲは正体を抹殺されている?

 太古の日本列島人は、文明に懐疑的で、恐る恐る発展していたようだ。文明が惨禍をもたらすことを知っていて、進歩を拒んでいたように思えてくる。

 たとえばヤマト建国も、「権力や文明」に対するアンチテーゼだった可能性が高い。渡来系の強い征服王や騎馬民族が九州からヤマトに押し寄せたというかつての常識は、通用しなくなった。強い権力の発生を嫌う近畿地方や東海地方の人びとが纏向[まきむく](奈良県桜井市)に集まると、瀬戸内海勢力(吉備=岡山県と広島県東部)は地政学的な劣勢を感じとり、ヤマトに合流したのだ。

 ヤマトで生まれた巨大前方後円墳を各地の首長も造り、埋葬文化を共有してつながる不思議な連合政権が誕生した。そして、ヤマト建国運動の中心に立っていたのが、スサノヲだったのではないかと疑っているのだ。

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