国際人のための日本古代史 (145)

スサノヲ篇(8)
スサノヲのモデルは実在した?

執筆者:関裕二 2022年3月27日
タグ: 日本
エリア: アジア
出雲大社本殿真裏の素鵞社[そがのやしろ]。大国主神が国譲りを承諾した稲佐の浜の砂を掻いて、この社の床下に奉納する慣習がある(筆者撮影)
スサノヲには、モデルとなった英傑がいた――それはヤマト建国直前の、北部九州に対する出雲とタニハ、そして新羅の関係を見ることで浮かんでくる。かのヤマタノオロチ退治も、出雲が持つネットワークの寸断という意味を持つのだ。

 ロシアのウクライナ侵攻は「世界の終わりのはじまり」を予感させて、憂鬱になる。文明は、時に狂気に化ける。

スサノヲは正体を抹殺されている?

 太古の日本列島人は、文明に懐疑的で、恐る恐る発展していたようだ。文明が惨禍をもたらすことを知っていて、進歩を拒んでいたように思えてくる。

 たとえばヤマト建国も、「権力や文明」に対するアンチテーゼだった可能性が高い。渡来系の強い征服王や騎馬民族が九州からヤマトに押し寄せたというかつての常識は、通用しなくなった。強い権力の発生を嫌う近畿地方や東海地方の人びとが纏向[まきむく](奈良県桜井市)に集まると、瀬戸内海勢力(吉備=岡山県と広島県東部)は地政学的な劣勢を感じとり、ヤマトに合流したのだ。

カテゴリ: 社会 カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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