1993年10月、訪日して細川護熙首相(右=当時)と「東京宣言」に署名するエリツィン露大統領(左)。だがこの時すでに好機は過ぎ去っていた (C)時事

 ロシア外務省が3月21日、日本との平和条約交渉を拒否し、ビザなし交流の停止も通告したことで、ソ連崩壊後30年にわたった日露交渉は事実上破綻した。

 日本はロシアのウクライナ侵攻を受け、欧米と連携して強力な経済制裁を発動しており、ロシアが反発して交渉を拒否する展開は十分予想できた。これにより、ウラジーミル・プーチン政権が続く限り、領土交渉は不可能になり、日本側は対露戦略を再構築する必要がある。

 この機会に、過去30年の日露交渉失敗史を総括する必要があるが、日本側の外交的不備にも問題が多かった。とりわけ、ソ連崩壊直後の千載一遇の好機に日本外務省が動かなかったことが、戦後日本外交最大の失敗の1つと思われる。

「シンガポール合意」も破棄

 今回のロシア外務省声明は、日本の対露制裁が非友好的であるとし、

「現状において、日本と平和条約交渉を継続するつもりはない」

 とした。しかし、ロシア側にそもそも、日本と本気で領土交渉を行う意思があったとは思えない。

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