屋良朝苗:眉間の縦ジワは何を示していたのか

執筆者:野添文彬2022年5月1日
沖縄復帰記念式典で式辞を述べる屋良朝苗知事(沖縄県公文書館所蔵)
 

日本復帰の大きな温度差 

 1972年5月15日。沖縄が日本に復帰したこの日は、大雨だった。午後、那覇市民会館では沖縄復帰記念式典が開催され、琉球政府行政主席から沖縄県知事(次の県知事選までの「みなす知事」)になった屋良朝苗が登壇してあいさつした。

 これまで復帰に尽力してきた屋良は、「いい知れぬ感激とひとしおの感慨を覚えるものであります」と述べた。その一方で、そのトレードマークといわれた眉間の縦ジワをより深くしながら、次のような苦渋の思いを吐露した。

「しかし、沖縄県民のこれまでの要望と心情に照らして復帰の内容をみますと、必ずしも私どもの切なる願望が入れられたとはいえないことも事実であります。

 そこには、米軍基地の態様の問題をはじめ、内蔵するいろいろな問題があり、これらを持ち込んで復帰したわけであります」

 その上で屋良は、「沖縄がその歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除」するとの決意を示したのである¹

 同じ頃、那覇市民会館のすぐ隣の与儀公園では、沖縄の日本復帰を推進してきた沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が主催する「沖縄処分抗議、佐藤内閣打倒、五・一五県民総決起大会」が開かれていた。

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