1983年1月、会談前に握手する全斗煥韓国大統領(右)と中曽根康弘首相 ©時事通信フォト

 

 2003年10月、85歳の元首相中曽根康弘はまったく不本意な形で政界を引退した。時の首相小泉純一郎に、自民党執行部との「終身比例代表1位」の約束を反故にされ、「政治的テロ」だと怒りながらも退かざるを得なかった。その日、私は中曽根の無念にも思いを馳せて、読売新聞紙上(同年10月28日付朝刊)で次のような「送別の辞」を贈った。

 

 戦後を代表する首相を三人挙げろと言われれば、躊躇なく、吉田茂、佐藤榮作、中曽根康弘を挙げる。順序を付けよと求められれば、迷いなく中曽根、吉田、佐藤と答える。なぜか。

 吉田の背後には、マッカーサー(連合国軍最高司令官)という「至高の権力者」がいた。佐藤には高度成長という「時の味方」があった。しかし、中曽根にはそうした“後ろ盾”は何もなかった。脆弱な権力基盤のもとで、「田中派支配」と呼ばれる田中角栄の圧倒的な影響力に抗しながら政治を進めなければならなかった。

 

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